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第11話
「赤ちゃんは元気に!両親はどこにいる!」

1998年06月13日放映


平和が訪れたジェイナス。子供達の間では赤ちゃんの今後についての議論が始まる。赤ちゃんをホルテ達に預けるべきだと主張するカチュア達、ひとり反対するシャロン。そんな中、ARVを駆り単独でジェイナスに迫るルルド。彼は30分以内に避難民を引き渡さなければ総攻撃をかけるとの通告を突き付ける。戸惑うスコットやホルテ。そこへ突如キエフからの通信が入る。その内容はこうだった。ククト側から行方不明になった双子の捜索依頼が出ていること、そして父親はヴィラ・ルルドという名であること…。

ジェイナスに総攻撃をかけようとしているククト軍特務部隊の艦長ルルドが、双子の赤ちゃんの実の父親である事が判明するエピソードです。もともと「13」というシリーズは双子の赤ちゃんを巡るエピソードであることにその存在意義があったわけですが、シリーズの性格上、オリジナルシリーズに登場していない双子の赤ちゃんについてはいずれ物語から退場しなければならない運命にありました(でなければ辻褄が合わなくなりますからね)。序盤の設定を見る限り、おそらくホルテとルービンが双子を引き取って物語から退場していくのだろう…と思われていたのですが、実際には双子の父親であるルルドの登場により、その展開は大きく変わることになります。これまでの物語の中で彼が双子の赤ちゃんの父親である事は視聴者にとっては既知の事実だったわけですが、この回では劇中の子供達がようやくその事実を知ったことにより、物語は新たな展開を迎えることになります。

…ホルテの献身的な看病でようやく元気になった赤ちゃん、そしてルービンの活躍もあって電源部が復旧したジェイナス。平和が訪れた船内では、子供たちの間で赤ちゃんを今後どうするかについての議論が上がります。我が子のように赤ちゃんを可愛がるシャロンですが、彼女の「(赤ちゃんが自分達に)なついてきた」という言葉に対し、カチュアは悲しげな表情を浮べます。情が移らないうちに赤ちゃんをホルテ達に預け、両親を捜してもらうべきだと主張するカチュア。自分の境遇を赤ちゃんとダブらせたカチュアの主張は、「13」というシリーズが始まって初めて、カチュアがククトニアンである故に見せた行動だと言えます。
一方ルルドの対応に納得がいかないルービンは自分達の母船キエフ号に連絡を取ろうとします。ラピスの本部を通してククト軍に抗議してもらうための通信でしたが、妨害電波のせいで彼女の呼びかけはつながりません。彼女はキエフ号をここに呼ぶべきだと主張します。
ブリッジでは13人全員が集まり、赤ちゃんを今後どうするかの話し合いが持たれます(第10話のエピソードもあって、子供達がホルテとルービンを信頼していることがよく分かります)。ホルテ達に赤ちゃんをあずけるというスコットやクレアの意見に、シャロンはひとり反対します。その彼女にカチュアはめずらしく抗議します。しかしなお納得しないシャロン。彼女はあくまで自力で赤ちゃんを守り抜くことを決意します。
そんな時、単独でARVで出撃しジェイナスに迫るルルド。本来艦長という地位であるはずの彼の直接的な行動は、電送されてきた双子の写真を見ての突発的な行動のようです。後方から回り込んでジェイナスの進路前方で停止した彼は、30分以内に避難民を引き渡さなければ総攻撃をかけるとの通告を突き付けます。ルルドからの突然の通告に戸惑うスコットやホルテ。

そこへ突如キエフ号からジェイナスに連絡が入ります。その通信内容はショッキングなものでした。ククトの宇宙ステーションで行方不明になった双子の捜索依頼が出ていること、そして父親の名がヴィラ・ルルドであること…ついに双子の赤ちゃんの父親であることが明らかになったルルド、そしてメンバーの中でひとり意見の分かれたシャロンの行動は?…次回の展開に注目です。

■双子の赤ちゃんの登場−退場のプロセスについては、スタッフの間でもいろいろと議論があったものと思われます。13人のもとに赤ちゃんがやってきて彼らが子育てをする…というエピソードについては、もともとオリジナルシリーズで構想がありながら実現しなかったエピソードとして有名です(他にはシャロンの初潮話などが有名)。当時スタッフがインタビューや座談会などで語ったコメントを集約すると、怪我をした女性がジェイナスに拾われ、そこで赤ちゃんを出産して死亡、13人がそのまま子育てをしなければいけない羽目になる…という内容であったようです。結局「13」においては出産シーンは描かれず、「双子」さらに「ククトニアン」という設定になった赤ちゃんはククトニアンの宇宙ステーションから拾われてくる形でジェイナスに合流します(第4話)。
では逆に、彼らをどのように物語から退場させるか…というと、これは非常に難しい問題でした。というのも、双子の赤ちゃんはまだ年齢的にも独立した人格を持っているわけではないため、彼らが自分の意思でジェイナスを降りるといった類の展開は不可能だったからです(蛇足ながら、そのままジェイナスに残る、どこかに置き去りにする、はたまた命を失うといった類の展開が論外であることは言うまでもありません)。つまり方法としては、肉親であるかどうかを問わず彼らの「保護者」となるべき人物が彼らを連れて表舞台から退場する、という図式しか残されていなかったことになります。
■本放映当時、この回は原作者の星山氏が脚本、監督の川瀬氏が演出・絵コンテ(山本氏と連名)と非常に豪華なスタッフが名を連ねており、第1クールのクライマックスへ向けての布陣…と予想していたのですが、物の見事にこの予想は外れる結果となってしまいました。何より制作側が根本的に勘違いしているのは、物語の本筋であるルルドと赤ちゃんのドラマに、「13人の姿を生き生きと描く」というまるで別のドラマを無理矢理合体させようとしている点です。13人の細かい仕草ややりとりがドラマの中にきちんと収まっているのなら何も問題はないのですが、まるでドラマとは無関係なやりとりを劇中にねじ込んでいるがために、ドラマ部分が実に散漫な内容になってしまっています。これだけオリジナルシリーズと矛盾する緊張感のないキャラクターを描かれたのでは、所詮シリアスな展開を見せかけているドラマ部分に注目すること自体無理というものでしょう。もしも制作サイドがドラマ部分とは無関係に、視聴者はとにかく13人の生き生きとした姿を見たがっている…と思っているのなら悲しいことです。
■シャロンに怒鳴られた時のマルロ&ルチーナの反応、ホルテ達に対するバーツの言葉遣い、ストーリー本筋と絡まないスコットの散漫な表情集など、この回の演出面には納得がいかないことだらけです。脚本や演出のスタッフが回ごとに替わってもキャラクターの描写が一貫しており、各キャラの描き方も丁寧である…というところがバイファムという作品の持つウリだったと思うのですが、この第11話ではお世辞にもそのような出来ではありません。第9〜10話にかけてオリジナルシリーズを意識したディティールの細かい描写が多かっただけに、正直なところこの回の演出にはがっかりさせられます。ストーリーを組み立てるために細かいエピソードを並べるのであれば、もっと説得力のある繋げ方をしてほしいものです。子供達の妙に浮いて見える一つ一つの行動と、状況説明臭いセリフのオンパレード。シャロンを中心に描きたいのなら、もっと彼女の視点を中心にするとか、やりようはあるはずです。話自体は悪くないだけに、こういった部分の作りこみが甘いのは非常に気になります。
■この回のジミーはジェイナスから脱出するにあたって自分の荷物の前にメリーの食料を持ち出そうとするなど、ククト山羊であるメリーに対する異常な溺愛ぶりが目に付きます。この傾向は第2クールの「旧タウト星篇」ではますます顕著になっていきます。
■ジェイナスにやって来た直後の第4〜5話では相当力の入った演出が見られた双子の赤ちゃんですが、この第11話あたりになると「いかにして親元に返すか」という話にすり替えられてしまい、本来の子育てのエピソードとは何ら無関係な内容になってしまっています。オリジナルシリーズの本放映当時から「バイファム」という作品を見続けている視聴者の中には、すでに「親」となり、子育てを経験している人もたくさんいるはずです。その人たちが「そうそう、子育てをしてるとそういうことってあるんだよね」と共感できるようなエピソードは、結局ほとんど描かれることはありませんでした。おそらく制作サイドの方々が描きたいと願っていた「13人が赤ちゃんの世話をする話」というのはまさにそういう部分にあったのではないかと思うのですが、ラピスとルルドの話を書かなければいけない関係もあり、13人と赤ちゃんの接点が「おしめ」「ミルク」のほぼ2つだけに限定されてしまったのはかえすがえすも残念です。第5話のような「お湯の温度は40度」とか「寝返りで転がる」といった類の小ネタをその後ほとんど目にすることができなかったのは残念の一言です。
■Aパート最後でペンチやシャロン、年少組にホルテが「みんなでお風呂に入りましょう」と呼びかけるシーンがあったものの、結局Bパート開始時には既に入浴シーンは終わっており、バスタオル姿のホルテの後ろでペンチが髪をとかしているだけという、ファン大暴れの展開がありました(明らかに狙ってましたね、これは)。ただ、一見能天気に見えるこのシーンですが、第9話で「お食事会」という安直な手段で子供達とコミュニケーションを取ろうとして失敗しているホルテが、ここで再び「一緒にお風呂に入る」というお食事会に輪をかけて安直な行動に出たことは、彼女の本質の部分が悪い意味で変わっていないことを表しているとも解釈できます(このシーン、その後の演出の都合とはいえ、パートナーのルービンが入浴していないのはまさに好対照です)。大きな問題を目前にした時のこのホルテとルービンの対応の違いは、第14話に繋がるひとつの複線であると言えます。

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