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第37話
「囮になったロディ」

1984年07月07日放映


ロディの発案で彼らは収容所からククトニアンの捕虜を救出する作戦を立てる。カチュアとメルが収容所に潜入して捕虜達に脱走計画を伝える一方、ロディのバイファムが囮となって守備隊の注意を引きつけることで捕虜の救出は無事成功し、ククトニアンの子供達は無事両親に再会する。しかしミューラアの部隊に追跡されたロディからの連絡は依然途絶えたままだった。

収容所からククトニアンの捕虜を助けるためにメルとカチュアが収容所に忍び込んで捕虜に計画を伝え、そしてロディが囮になって戦闘をする間に捕虜を救出。そうすることによって子供達の両親の居所の手掛かりが分かるはず…という、風が吹けばなんとやら的な論法のストーリーです。囮となるロディが一時行方不明となったため、彼を救出するために再度収容所に突入して輸送機を強奪する第38話との前後篇になっています。

さてこの回の主役は、ククトニアン少年少女4人組の紅一点であるメル、そしてカチュアの2人です。ククトニアンである自分なら潜入しても目立たないはず、という理由でカチュアが収容所に忍び込むことを決意し、メルも行動を共にすることを志願する…という展開なのですが、彼女達2人が行動を共にすることになった本当の理由は別のところにあると思われます。単純にメル以外のキャラではカチュアのパートナーとしてしっくり来ないという理由もあるでしょうが、ここでは「ククトニアン」「親と離れ離れになっている」「10才の少女」という共通項を持つ2人だけが仲間から離れて行動することによって、彼女たち2人の運命の違いを強調させようという意図が制作サイドにあったからだと思われます。事実、ククトニアン4人組の年齢設定がメル以外の3人(ガイ・ケイ・ユウ)についてはそれぞれ12・8・6才と13人の年齢ときっちりずらしてあるのに引き換え、メルだけは敢えてカチュアやペンチと同じ10才に設定されています。単純に他の3人とのバランスを考えたというだけではなく、カチュアと年齢を同じにすることによって二人を対比させる狙いが当初から存在していたのではないか?と推測できます。

…が、この回は残念ながら、そういった設定があまり有効に生かされることはありませんでした。闇に紛れて収容所に潜入し、機会を窺うカチュアとメルの2人。そこでメルは労働に就いている父親を発見します。息を切らせて階段を駆け上がるメル、そして父親との感動の再会…。ここで象徴的だった演出は、メルが父親に抱きつくシーンだけがカチュアの視点に切り替わって描かれたことです。抱き合う彼らを見て涙ぐむカチュア。彼女の涙はメルの境遇を多少なりとも自分の姿に重ねていたからに他ならないでしょう。メルと彼女と対比らしい対比といえばこのシーンしかなかったわけですが、前述のシーンを引き立たせるためにも、もう少しカチュアの心境をじっくりと描く余裕が欲しかったところです。

とにもかくにも捕虜とのコンタクトに成功したメルとカチュア。メルの父親が地球語を話せたこともあり、収容所襲撃作戦の概要がカチュアからククトニアン捕虜達にスムーズにもたらされます。そしてその夜バイファムを駆って収容所に攻撃をかけるロディ。「あの手ごわい奴」=ミューラアをロディが引きつけ、その間にバーツやスコット達が中心となって捕虜を救出するという作戦です。彼らの目論見は成功し、戦闘の最中カチュアとメルは無事ククトニアン捕虜と共に収容所から脱出することに成功します。そして両親と再会するガイ(+ユウ)、ケイ。彼らが両親と再会するのを横目に「きついよなあ、目の前で見せつけられてんだもんなあ…」と呟くシャロンの対比が印象的なシーンです。

しかし捕虜の救出という目的こそ成功したものの、囮となったロディからの通信は途絶えたままでした。兄を気遣って涙を見せるフレッド、そんな彼を励ますカチュア…。

■この回は前の第36話と異なり、登場人物が多すぎる弊害がモロに出ています。特に中盤はカチュアとメル(+メルの父親)を中心としたストーリー展開となるため、他の子供達、またメルを除くククトニアンの子供達はほとんど出番がない状況です。何より、制作側が視聴者にそれを感づかせないがために故意に各キャラの出番を捻出していることにより、物語全体が大雑把で散漫な印象になってしまっています(ミューラアが上官のセリフを回想するシーンまで挿入されてます)。厳しい言い方をすると、第3クール以降のバイファムの「綻び」が初めて画面上に表れたのがまさにこの回だったのではないでしょうか。もっともシチュエーション的にはこうなるのはやむなしなのですが、現実感を出すための細かいディティールが完全に無視されているのは残念な限りです。また追撃してくるククト軍のジープにトゥランファムが容赦なく銃撃を加えるシーンなどは文字通り「最悪」と言っていいでしょう。もう少し演出レベルで配慮はできなかったんでしょうか。
■「登場人物が多すぎる弊害」と共に、単純に物語の密度が濃すぎることもこの回の問題点として挙げられます。救出作戦のプロセスを描くことに主眼を置くあまり、子供達本来の生き生きとしたやりとりが省略されているのをはじめ、冒頭での状況説明くさい会話は非常に気になります。子供達が生き生きとしていた前の第36話との温度差の関係もあるのでしょうが、一言で言ってしまえば「バイファムらしくない」です。うまくペース配分さえすれば次の第38話と合わせてククト星篇の中核を担うだけの前後篇になりえたと思うのですが。戦闘シーンを2回に分けることを基準に物語のペースを配分してしまったがために非常にあわただしく、前述のカチュアとメルの対比など、制作側が本当に見せたかった(であろう)ことが十分に描かれていない気がします。実際にはこの第37〜38話は計3話分くらいのボリュームがある話なのかもしれません。
■ロディが消息を絶ったことにより、兄のことを心配したフレッドが涙を浮かべて…という展開は第27話「ロディ帰艦せず」とそっくり。これまでの物語の中では2つの話のシチュエーションが似てしまった場合は登場人物の役割を入れ替えるなどしてうまく差別化してきたわけですが(第8話と第9話がそうですね)、この回はそれが成功しているとは言い難い内容です。僅か10話前の展開がここで再び登場してきたことから、ストーリーを練り直す余裕がないほど現場の制作事情が切迫していたことが窺えます。
■この回強烈なインパクトを残したのはメルの父親。タウト星通訳譲りの?妙な地球語(日本語)を駆使し捕虜の脱出に尽力する姿はかなり怪しい…いやいや、印象的です。この時期ともなると第27話のタウト星通訳のキャラクターの反響がアニメ誌の読者欄などを通じて制作サイドにも達していたと見られ、それがこの怪しげな喋り方に繋がったものと推測されます(顔も怖いしね)。それにしても、「ダブージョイ」はちょっと狙いすぎですけどね。あと地球語を喋れるのはストーリー展開上のいわゆるご都合主義。
■「(人質の数が)思ったより多いのね」「ああ、50〜60人はいるぜ」…い、いや、画面に出てきた人だけでどう見ても100〜200人はいるんですけど…。
■あんまり言うべきことじゃないんですけど、本放送当時、冒頭の「囮になったロディ」というサブタイトルを挟んでキャラの顔がコロッと変わってしまったのには苦笑しました(意味は分かりますよね)。うーむ。
■いち早く父親と再会したメルを始め、ラストシーンではガイ(+ユウ)、ケイも彼らの親と再会します。13人が両親に再会するのに先駆けて…という展開です。バイファムの劇中で13人が両親と感動の再会を果たすシーンは実際には描かれなかったわけですが、このシーンでは視聴者の誰もが13人がこの4人と同じ運命を辿る、いや辿ってほしいと願っていたことでしょう。シャロンの「いいよなあ、目の前で見せつけられてんだもんなあ…」という呟きはそれだけのインパクトがありました。


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