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第19話
「もう一つの戦争 ジェイナスの小さなママ」

1984年03月02日放映


マルロやルチーナの世話をしながらスコットの補佐をするクレア。一向に言いつけを守らない子供達、そして自分の立場を理解しようとしないスコットにクレアはとうとうヒステリーを起こしてしまう。しかし熱を出したマルロを必死に看病するルチーナを見て、クレアはあらためて彼らの母親代わりとなることを決意するのだった。そんな時、ジェイナスの進路に敵の中継ステーションが発見された…

バイファムの物語の中には、時として企画段階のコンセプトがダイレクトに内容に反映されてしまったエピソードがあります。この第19話や次の第20話はその典型的な例で、「クレア」「スコット」それぞれを中心に立てた回を作る、という制作側の意図が単独のエピソードとしてうまく煮詰められないまま完成に至っており、視聴者からすると間延びした「見え見え」の展開を生んでしまっています。キャラ単独ではなかなか表に出る機会がない彼らを生かすために1本の話まるごとを費やすという発想は間違っていないと思うのですが、連続したドラマの1本として見た場合消化不良の感は否めません(この2篇の後に「あの」第21話が放映されてしまったというのも理由の一つ)。もっとも、後のククト星篇における「誰かと誰かをカップルとしてくっつける」ためのエピソードよりははるかに良質だとは思うのですが…。

さてこの回は、クルーの母親役であるクレアが主役となる一篇です。彼女はシリーズ中では女性陣の最年長者として母親的な部分を強調して描かれることが多いため、彼女自身まだ14歳の少女であるという印象はどうしても薄れがちです。そのためにこの話のようなエピソードを挿入してキャラクターとしてのバランスを取ることが必要となるわけで、この話はまさにそのための回だと言えます。

ベルウィック軌道を離れて10日目。レーダーに捉えられたアストロゲーターは、ジェイナスから一定の距離を保ったまま彼らの追尾を続けます。イライラを募らせるスコット。いつ敵が動くか分からない状況の中で、子供達はじっとスクリーンを睨み続けます(スコットのように見るからにイライラしているキャラがいる一方で、逆に平然としているキャラがいるのが面白いところです)。
一方このようにジェイナスが敵と睨み合いをしている最中であっても、女性クルーの最年長者としてマルロやルチーナの世話をしていなければならないのがクレアの立場です。こういった「母親としての役割」がこれまでの旅の中で当然になってしまった現在、誰も彼女のことをバックアップしてはくれません(こういうことは現実にもよくある話ですね)。キャプテンであるスコットにしてみればクレアはクルーの中で唯一昔からの知り合いでもあり、たいして気を遣わなくてもいいという気持ちもどこかにあったかもしれません。クレアが寝かしつけたはずのマルロとルチーナがブリッジにやって来た事をきっかけに、スコットはクレアを叱り付けます。ムッとするクレア。その後おねしょしたマルロを巡ってさらに冷たく当たられたクレアはとうとうヒステリーを起こしてしまいます。ひとりになった彼女は、どこにいるかも分からない母親の姿を思い浮かべつつ涙します。
しかしそれによって彼女はマルロが熱を出す兆候を見逃してしまいます。彼女に替わって必死でマルロの看病をするルチーナを見たクレアは自分の行動を反省します。彼女はマルロとルチーナの寝顔を見ながら、ジェイナスの小さな「ママ」になることを決心するのでした。

一方出撃したもののアストロゲーターの罠にはまり、多数のARVルザルガの攻撃の前に窮地に陥るロディとバーツ。なんとか敵を振りきってジェイナスに帰還した二人でしたが、敵の目を欺くために打ち出された探査ロケットVRCが転送してきた映像には、航路上に存在するアストロゲーターの中継ステーションが写し出されていました。航路上に立ち塞がる障害の出現に頭を悩ませるスコット。キャプテンとしての彼の苦悩は、次の第20話に続く形となります。

■クレアというキャラクターは番組放映開始当初は明らかに物語のヒロイン役として扱われており、オープニングやエンディングでは必ず主人公のロディと並ぶ形で登場しています。ちなみにその横には必ずスコットがいて「ロディ+クレア+スコット」という3人の組み合わせが定番となっており、このことは制作側が物語の進行状況を見ながら「ロディ+クレア」にするのか「スコット+クレア」にするのかを決定していこうと考えていた証しだと言えます。彼ら以外のカップルがオープニングやエンディングの映像において最終的な組み合わせ通りに登場していることからも、この点はおそらく間違いないとみていいでしょう。
ところが物語が進むにつれ、当初の構想に反してクレア自身のヒロイン役としての地位そのものが揺らぎ始めます。これはバイファムという物語が13人を均等に描かなければならないという特性を持っているため「ヒロイン」というポジション自体が必要でなかったことと、またクレア自身に関してはここまで活躍の場が極めて少なかったことが理由として挙げられます(さらに都合の悪いことに、第11話でいち早く切れるシーンが登場してしまっています)。もしここで一発逆転とばかりに彼女をヒロイン役に押し込めてしまうのであれば、この回のエピソードを「クレアが落ち込んでいる」→「そこにロディが慰めに来る」→「クレアが立ち直る」→「以降二人はラブラブに」という筋書きに書きかえることは容易だったはずです(いや、冗談抜きで)。このエピソードがそのような結末を迎えなかったのは、この時点で恋愛ドラマを挿入するわけにはいかないという事情のほかに、「母親役」であるという以外のクレアのポジションが全く決まっていなかったという証明に他ならないでしょう。この回はクレアが自分の母親役としてのポジションを再認識しておしまい、という極めて自己完結な展開に終始してしまいますが、この展開はこの第19話と物語構造が非常に似ている次の第20話において、スコットが実力をもって周囲に自分を認めさせたのとは極めて対照的です。これはクレアというキャラクターを今後どう扱うかという位置付けがこの時点で決定していなかったがための悲劇であるといえます。このことはこの回の脚本を担当されている伊東恒久氏にとっても引っかかりがあったと見られ、このことが同じく伊東氏脚本による第42話「パパ!一瞬の再会」でのクレアの印象的な役回りに繋がったのではないか、そう受け取れないこともありません。
■この回の作画監督は佐々門信芳氏。ファンの間ではなにかと話題になることの多い氏ですが、この第19話をはじめ第3クール以降ではメインスタッフとして活躍される形となります。この回のクレアの表情が、氏がこの直前までスタッフとして関わっておられた「聖戦士ダンバイン」のリムル・ルフトとそっくりになのはご愛敬。加えて言うのであれば、この話といい第42話といい、クレアがメインとなるエピソードはどういうわけか作監が氏であるのは不思議なところです。
■ふだんから最もクレアの近くにいるはずのマキが彼女を慰めにいかないというのもよくよく考えると変な話。ちょっと薄情かも。
■本篇の内容からするとこの回のアイキャッチはどう考えても「クレア・マルロ・ルチーナ篇」であるべきだと思うのですが、実際に放映されたのは「ロディ・バーツ・マキ篇」でした。ちょっと変。


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