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第22話
「とざされた道 ジェイナスに帰還せよ!」

1998年09月05日放映


旧タウト星に取り残された子供達は乗ってきたシャトルを独自に修理し、脱出しようと試みる。滑走路代わりとなる草原にシャトルを移動させた後、地上に残していくことになったバイファムとネオファムを思い思いの場所に隠し、別れを告げるロディとバーツ。荷物の積み込みが完了し、いよいよ飛び立とうとする子供達だったが、シャトルはフラップが動作せず、離陸に失敗して大破してしまった。茫然とする子供達…。

ある意味で「13」を象徴する回といって過言ではないのがこの第22話です。「13」では最後の登場となるライター平野靖士氏の脚本によるこの回は、ここまで期待を裏切る展開が続いていたこの「旧タウト星篇」において、視聴者の期待を抱かせるのに十分なものでした。しかし、エピソードの内容はともかく、その「演出」については期待を大きく裏切る出来でした。

…自分達のいる星がタウト星でないことが分かり落胆する子供達。彼らは料理の支度に取り掛かりますが、ショックのあまり何事も手につきません。特にキャプテンであるスコットの落胆ぶりは相当なものです。そんな中、チェンバー夫妻を追いかけてこらしめると言い出すケンツ、それに同調するシャロン。親に会えることを信じてここまで来た彼らにとっては、これくらいの感情の発露は当たり前のことなのでしょう。それを制しようとするバーツ達。彼らはシャトルを修理し、自力で旧タウト星を脱出する方法を考えます。
翌日、出発の準備をすすめる子供達。そんな中、珍しくジミーの言うことを聞かず、あちこち行こうとするククト山羊のメリー。もともとククトの原住動物である「彼女」には緑のある風景がよく似合います。好物の木の実を探して森の中に迷い込むメリー、彼女を追いかけて森に入り込むマルロとルチーナ。ジミーとカチュアもそれを追います。
一方、彼らの様子を森の中から見守るチェンバー夫妻。妻リグレーは彼らのことを心配してそこに留まっていたのです。そこにひょっこり現れるメリー達一行。ここで彼らが再び遭遇して意思の疎通を図ることになったのは、次の第23話で再会することを見越して展開がスムーズになるよう考えられたものであったと思われます。リグレーはカチュアに自らの非を詫び、自分達が息子に会うためにこの星に来たというのは決して偽りではない、と語ります。

バイファムとネオファムの活躍によりシャトルは滑走路となる草原に運ばれ、いよいよ出発の時が迫ってきました。しかし大気圏を突破して宇宙に出ようとするシャトルにRVは乗せられません。ロディとバーツはそれぞれ崖の下にバイファムを、沼の中にネオファムを隠しにいきます。手放さざるを得なくなった愛機に別れを告げるロディとバーツ。彼らの表情には、まるで古くからの仲間と離れ離れになるかのような寂しそうな表情が浮かんでいます。
そしていよいよ出発です。草原を走り出すシャトル。しかし湿地帯の状態が悪かったのか、はたまたシャトル自体の操縦方法が悪かったのか、シャトルは離陸に失敗、なんとか停止させることには成功したものの、前輪は折れ、機体は大破してしまいました。茫然となるスコット、そして子供達…。

…この回のサブタイトル原題は「さらばバイファム!さらばネオファム!」。原案の時点で、この回が旧タウト星に置き去りにせざるを得なくなった愛機とロディ、バーツの別れをメインに据えた物語であったことが窺えます。そして結果的にサブタイトルが変更になったとはいえ、その内容は本篇の内容にきちんと継承されています。しかし、彼らがRVに別れを告げるシーンの演出がいかに感動的なものであったとしても、このシーンに本当の意味で感情移入した視聴者はいなかったことでしょう。バイファムとネオファムがその後も子供達と共に存在していたことはおそらくすべてのファンが知っていることであり、それを物語の核に据えてひとつのエピソードを作り出そうということ自体無理な話だったのではないでしょうか。何よりも、ロディとバーツがここで別れを告げたバイファムとネオファムは、次の第23話で彼ら自身の手によって再び表舞台に復帰してしまいます。オリジナルシリーズの挿入歌「君はス・テ・キ」を使ってまで描かれた感動の別れが、次の回であっさりと否定されてしまったわけです。オリジナルシリーズで「君はス・テ・キ」を使って描かれた別れは2回ありますが、そのいずれもが感動的な、そして爽やかな余韻を残す別れのシーンでした。もしオリジナルシリーズの第38話、ガイ達の乗ったシャトルが次の回で引き返してきたらどうなっていたでしょうか?もし最終回のラストでカチュアとジミーが引き返していきたらどうなっていたでしょうか?この回の「君はス・テ・キ」の使われ方はそれらに匹敵する「暴挙」であったと言えます。このシーンがもし「君はス・テ・キ」を使わず別の演出方法を用いていたのなら、また見方は違っていたかもしれません。しかし「君はス・テ・キ」を用いることによってこれらのシーンは過去のシーンと比較されることになってしまい、結果的に旧タウト星篇の、そして「13」という作品の「程度」を決定付ける演出となってしまいました。

ストーリーを文章で振り返ってみるだけでは、この第22話はバイファムの物語としてそれほど違和感がある内容だとは思えません。しかしその中に含まれる数々のナンセンスな演出、そしてまるで必要のない雑多なシーンの数々は、リアルタイムでこの回の放送を見ていた筆者を落胆させるに十分なものでした。次の項ではこの回の「楽曲」にポイントを絞り、この第22話をじっくりと振り返りたいと思います。

■この回のBパートでは、オリジナルシリーズの主題歌/挿入歌である「Hello,VIFAM」「パパにあえる ママにあえる」そして「君はス・テ・キ」がBGMとしてたて続けに使用されました。これまで「13」という作品に対するスタッフの誠意を信じてきた私にとってはこれは非常にショッキングな事でした。これらのBGMはバイファムのオリジナルシリーズを象徴するものであり、劇中の個々のエピソードと密接に結びついているものだからです。特にオリジナルシリーズの主題歌である「Hello,VIFAM」はこの「13」において「オメガの扉」としてリメイクされている訳で、この曲を使わずに旧音源を使うのは「13」という作品が失敗であると認めているようなものです(個人的に「オメガの扉」が好みかどうかは別の問題ですので、ここでは省略します)。
新作の雰囲気をオリジナルシリーズに近付けるためにオリジナルシリーズ本篇のBGMをそのまま使うということは、通常のBGMについては非常に効果的であると思います(もともとバイファムのBGMは汎用のものが多い訳ですから)。しかし、この回の使い方は紛れもなく『見せかけ上オリジナルシリーズに雰囲気を合わせるために、本来合わないはずの本篇のシーンに無理矢理はめ込んだ』=『13という独立したひとつの作品を生み出す可能性を放棄した』ものであると私は解釈しました。以下にそれぞれのシーンを検証してみることにします。
○「Hello,VIFAM」…バイファム、ネオファムをこのまま旧タウト星に残していかなければならなくなったロディとバーツが「撃ち収め」と称し、空に向かってビームライフルを撃つシーンで使用。実はこのシーンはシナリオの段階では「シャトルの滑走路を作るためにビームガンで森を掃射する」というシーンだったのですが、出来上がった映像ではまるで無意味な、単なる気晴らしとしか解釈できないシーンにすり替わってしまっていました。おそらくこのシーンは「Hello,VIFAM」を使うために捻じ曲げられた可能性が大です。何故なら、「君はス・テ・キ」が使われる場面(後述)と、シーンのもつ意味が全く同じであるからです。
○「パパにあえる ママにあえる」…子供達が荷物をまとめ、シャトルに乗り込むシーンにて使用。このシーン、彼らにとっては無事にシャトルが離陸し、ここ(旧タウト星)を無事脱出できるかどうかが問題なのであって、曲の内容と彼らの気持ちはまるで結びつきません。また、この曲はもともと「劇中で彼ら自身が歌う」曲であるわけですが、彼ら自身がこの歌を唄えるようなポジションにいないことは明白です(ちなみにこのシーン、彼らは曲とは別に喋っています)。BGMがなくても十分演出できるシーンですし、事実この曲は次の「君はス・テ・キ」と連続してしまっています。
○「君はス・テ・キ」…ロディとバーツの2人が地上に残すことになったバイファムとネオファムをそれぞれ崖下と沼地に隠し、別れを告げるシーンにて使用。ロディとバーツが彼らなりに愛機に愛着を感じ、それを表現するという意味ではこの曲が一番まともな使われ方をしています。しかし、この「君はス・テ・キ」という曲、単なる『別れのシーンの曲』ではありません。オリジナルシリーズ第38話や第46話に象徴されるように『別れの中にあって、離れ離れになる両者がいつまでも仲間であることを再認識する曲』なのです。従ってロディとバーツがRVにそれぞれ「さよなら」「あばよ」と告げるこのシーンで使われるべき曲ではありません。選曲する側はその辺を完全に解釈し間違えています。
また、展開上このシーンが前出の「Hello,VIFAM」のシーンと完全にダブっているばかりではなく、そもそもバイファムとネオファムがこのまま置き去りにされ得ないのは全ての視聴者が知っている訳ですから、ここで過剰な演出はまったく不要です。彼らが愛機に別れを告げるシーンそのものは、非常に感動的なシーンであっただけに残念の一言です。
…と、冷静にまとめてみると、今回の選曲は制作側が意図したものではなく、「オリジナルシリーズの歌を使え」という指示があってやむなく行われた演出だったのかもしれません。しかし制作上いかなる事情があったにせよ、私にとっての第22話はこれがすべてでした。
■子供達それぞれの個性が描かれた、という意味では今回の話は珠玉の出来でした。騙されたことに激怒してチェンバー達を追いかけようとするケンツとシャロン、同じ理由で落ち込むスコット(すぐにハイテンションに戻りますけど)。謝りに来たチェンバー夫妻を逆になだめるカチュア、森に入って行こうとするメリーを止めようとするマルロ&ルチーナとジミー、そしてRVに別れを告げるロディとバーツ。そう、今回はキャラ別の演出が冴え渡った、非常に見どころのある話だったのです。誤解のなきよう。
■夜、シャトルの中で睡眠を取るバーツとロディの会話。RVを置いていくしかないと語るバーツに対し、ロディはこう言います。「かなりの戦力不足になるな…」。彼らとRVの別れを描くのが目的であるなら、何故ここでこのような愛情のかけらもないセリフが出てくるのでしょう?ここで一言「残念だな」とか「連れて行ってやりたいけどな」というセリフを言わせるだけでこれらのエピソードは救いようがあるものになったと思うのですが…。
■中盤の大部分を占めるのは、ストーリーの本筋と何ら関係のない無意味なシーンの集合体です。コウモリに驚いて「お化けが出た」と騒いで回るケンツ、空中を飛ぶ物体に向けて発砲するケンツと彼をたしなめるパジャマ姿の子供達。物語の密度が薄いがために無理矢理はめ込んだとしか思えないエピソードの羅列で、見ていて非常にストレスがたまります。もっとも、次の第23話、そして話自体が無意味である第24話よりははるかに良質ではあるのですが。
なお蛇足ながら、ケンツがコウモリに驚いて銃を撃つというシーンはオリジナルシリーズの第32話にも登場しており、この回の脚本も平野靖士氏によるものでした。
■今回の作画監督はバイファム初参加の布施木氏によるものでしたが、どのキャラも非常にスマートなラインでまとまっていました。また美術面では、青空や森の中など旧タウト星の自然が非常に美しく描かれていたのが印象的でした。
■ケンツが作ったレッドベアーの旗、冒頭では風もなくだらんと垂れていた旗ですが、シャトル出発前は風にたなびいていました。これは子供達の感情の暗喩と見るべきでしょう。


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