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【放映リスト】

オリジナル・ビデオ・パート2
「ケイトの記憶 涙の奪回作戦」

1985年09月25日発売


あれから2年後、地球−ククト両星の友好式典に親善大使として招かれた子供達。そこでロディは死んだと思われていたミューラア、そして恩人であるケイトと相次いで再会する。だがケイトは記憶を喪失しており、子供達との再会にも反応を示そうとしなかった。彼女の記憶を取り戻そうと様々な方法を試みる子供達だったが、滞在時間は刻一刻と過ぎていく。しかし彼らがククト星を今まさに飛び立とうとした時、ジェットの爆音をきっかけにケイトは記憶を取り戻すのだった。

このOVA4巻が制作されたのは、オリジナルシリーズ(テレビシリーズ)の放映終了から1年後のことになります。オリジナルシリーズのククト星篇においては、「戦闘シーンを毎話描く」というスポンサーからの指示があったことはよく知られています。これは言うまでもなく、戦闘シーンの増加→メカの活躍→スポンサーが発売しているプラモデルの売上アップ、という図式を目論んだものです。スポンサーサイドとしては当然の判断でしょうが、視聴者はこの理不尽とも思える指示に、制作サイド側にある種の同情を寄せていたのは事実です。
さて、テレビシリーズの放映が終了してからこのOVA4巻が発売されるまでの僅か1年間に、アニメ業界とスポンサーを取り巻く環境は大きく変化していました。テレビシリーズの放映当時はプラモデル等を売るためにソフトを作る時代だったわけですが、ビデオやLD(当時はVHD規格)の登場により、作品そのものをソフトとして売る時代へと移り変わっていきました。このOVA4巻のリリースにあたっては制作側によってさまざまなキャンペーンが企画され、全国各地で声優さんやスタッフの方々を招いたイベントが開催されています。テレビシリーズの際は見られなかったこれらの販促手法は、まさしく時代の移り変わりを表していたと言っても過言ではないでしょう。
そして、この変化はOVA4巻のストーリーそのものにも大きな影響を及ぼしました。あれほどまでにメカアクションに固執したオリジナルシリーズの後半とはうってかわって、このOVA4巻ではキャラクターの活躍がメインとなっています。そしてそんな彼らをメインに据えた1時間の物語は、良くも悪くも「バイファム」というシリーズがここまで育んできた世界観を根本から覆しかねないほどの内容でした。

…地球−ククト間のあの戦争から2年後の2060年、地球とククトは停戦状態にありました。ベルウィックには地球側の再入植が開始されたものの、クレアドは中立地帯として再入植ができない状況にありました。
そんな中、かつてジェイナスで「銀河漂流」の旅をした子供達は、ククト星で開催される地球−ククト両星の友好式典に親善大使として招かれ、地球軍の軍艦に乗ってククト星に向かっていました。2年の時間経過に伴う対象の変化こそあるものの、相変わらずの様子の子供達。船内はリラックスムードです。
ステーションでシャトルに乗り換え、ククト星に降り立った子供達。そんな彼らを待ち受けていたのは、離れ離れになっていたカチュアとジミーでした。2年ぶりの再会に喜ぶ一同。喜びに沸き立つ彼ら。その傍ら、ケンツと共に双眼鏡を覗いていたジミーは、かつて彼らの保護者役だったケイトによく似た女性を目撃します。不思議そうにするジミー。
式典の前夜、食事会に招かれた子供達。その席でロディはひとりのククトニアン女性の面会を受けます。彼女は自分がミューラアからのメッセージを持ってきたと語り、彼に会いに行くよう促します(このあたりの展開の唐突さは、時間に制限があるOVAならではと言ったところでしょうか)。ロディはバーツと相談の上、ひとりミューラアに会いに行きます。
郊外のバーで、ロディはミューラアと再会します。死んだと思われていた彼ですが、実際は「一発食らって意識を失っていた」だけで、ククトの病院船に収容されていたのでした。かつての好敵手であるロディに対しても友好的なミューラア。そんな彼は、ロディにある写真を見せます。それはかつてロディ達の保護者役であったケイト・ハサウェイの写真でした。死んだと思われていた彼女は実は生きており、このホテルにいるというのです。驚きの色を隠せないロディ。彼はミューラアが指した部屋に向かいます。
部屋の扉を開けるロディ。そこにいたのは、紛れもなくケイトその人でした。思いもかけない再会に驚くロディ。しかしケイトはロディの顔を見てもいっこうに反応を示そうとしません。実はククト軍の捕虜になった彼女は拷問の最中に記憶を失い、その後同じ病院船にいたミューラアによって助け出され、ここにかくまわれていたのでした。ジェットの爆音に悲鳴をあげるケイト。小高い丘に建てられたリフレイドストーンのレプリカ。彼女はここに来ると落ち着くらしい、と語るミューラア。そんな彼にロディは、ケイトを助けたのは彼女がミューラアの母親と同じ地球人だったからではないか、と問い掛けます。それには答えようとしないミューラア。

仲間の元に戻り、今日の出来事を彼らに伝えるロディ。彼らは式典をスコットに託し、ケイトに会いに行くことを決意します。無事宿舎を抜け出した子供達はケイトと再会します。感激の面持ちの子供達をよそにケイトは彼らのことが思い出せないことを告げます。意気消沈する子供達ですが、彼女の記憶を取り戻すため、彼らの母船であるジェイナスに向かうことになります。ジェイナスに辿り着いた一行。ケイトは船内のあちこちに興味を示しはするものの、記憶は戻らないままでした。ロディがバイファムで追っ手のククト警備隊の相手をしているうちに彼らはジェイナスを離れ、キャンプを張るため湖に向かいます。ケイトの記憶を取り戻す手掛かりをつかめないまま、刻々と時間は過ぎていきます。落ち込む一行。

ケイトの記憶を取り戻す糸口さえつかめないまま、彼らがククト星を去らなければならない時が来ました。カチュアとジミー、サライダ博士たち、そしてケイトに別れを告げ、シャトルに乗り込む一行。いよいよ飛び立とうとするシャトル。シャトルの発するジェットの爆音に頭を抱えるケイト。そして、彼女が頭を上げた時、彼女の前にはカチュアがいました。「カチュア…」。ケイトの記憶が戻ったのです。飛び立ったシャトルに手を振るカチュア。彼女の願いは通じたのか、シャトルはUターンして彼女達の元へと戻ってきたのでした…。


…と、このOVA4巻「ケイトの記憶〜」では、レギュラーとして本シリーズに登場していた13人だけでなく、彼らの保護者役として視聴者に馴染みの深かったケイトの記憶が戻ったことにより、テレビシリーズとはまた違った意味でのハッピーエンドを迎える形となりました。この感動的な結末そのものについては、個人的には何ら異を唱えるものではありません。敵側にも敵側なりの行動理念が存在し、すべてのキャラクターが困難に立ち向かい、そして全員揃って幸せに到達することを是とするのが「バイファム」の物語の本質であるとするなら、このエピソードはテレビシリーズがやり残したことを見事に消化した、バイファムという物語にとってのもうひとつの「最終回」であるとみなしてもよいはずです。
しかし、テレビシリーズでロディ達の成長に大きく寄与した「ケイトの死」が撤回されてしまったことにより、過去に提示されたバイファムの物語までもがあやふやなものになってしまったことは紛れもない事実です。別にケイトの死を美化するというわけではありませんが、一旦物語から退場し、スタッフの方々自身も死んだことを認めていたケイトを、再び表舞台に立たせなければならなかったことはおそらくスタッフ側にとっても不本意なことだったと思われますし、またファン側から見ても本当にケイトが「生き返る」必要があったのか?と首をひねらざるを得ないのが率直なところでしょう。そして我々に強くそう思わせる原因となっているのは、このOVA4巻自体が持つ過剰なまでの「ファンサービス臭さ」にあるのではないかと思います。テレビシリーズ終了後から1年間の空白期間、アニメ業界とスポンサーを取り巻いていた環境の変化。そしてキャラクター人気が先走りしてしまったことによる、ストーリー性とは別の部分でのバイファム人気。これらが生み出した新たなバイファムの物語は、バイファムでありながら決してバイファムでない、テレビシリーズとは極めて異質な物語であったと言えます。

■このOVA4巻「ケイトの記憶〜」は、ファンサービスのための作品であると評価されることが多々あり、我々ファンはこれまでそのような評価を数多く目の当たりにしてきています。これは本シリーズ中に命を落としたと思われていたケイトやミューラアがファンの前に再び姿を現したことや、ファンが見たかったその後の13人の姿が描かれていること、またククト星を舞台にバイファムやジェイナスら当時のメカニックもきっちり登場しているということによるものです。
この「ファンサービスのための作品」という評価は作品に対する誉め言葉のようにも解釈できますが、裏を返せば「ファンサービスと解釈しなければ煮ても焼いても食えない作品」であると受け取ることもできます。あの最終回のあとに「蛇足」と言い切っても過言ではない物語を作ってしまった点、本シリーズのストーリーを歪めてまで再登場することになったケイトやミューラア。中盤の意味のないバイファムのアクション。これら全てはバイファムというシリーズの完成度とは無関係に、単にファンに媚びるためだけに用意された設定であることは疑う余地がありません。この年の始めに発売されているOVA3巻「消えた12人」とはまた異なった物語を作らなければいけなかったスタッフが選んだのは、13人のその後の物語であり、ストーリーの軸として用意されたのはケイトとミューラアという、シリーズでも人気のあった2人のキャラクターでした。ケイトは最後の登場となった第16話で直接死ぬシーンは描かれておらず、ミューラアに至っては直接どうなったか分からない状況である以上再登場しても何ら不自然ではない…という都合のよい拡大解釈。そして、バイファムという名前を冠した物語である以上、主役メカのバイファムが登場しないとおかしい…という御都合主義的発想が生み出した、シリーズ第28話の練習用バイファムの再登場。これら辻褄を無理に合わせることを優先したがために、このOVA4巻はストーリー上極めてアンバランスな展開を見せることになります。世間にはびこる「ファンサービスのための作品」という評価は、実際にはこのようなことを言いたかったのではないか、と邪知することができます。
■ケイトとミューラアを登場させることが、このOVA4巻の目的であったことは疑う余地がありません。そもそもこのOVA4巻の物語自体、彼らを登場させるために無理矢理設定されたストーリーであり、いくら辻褄を合わせようが、そのあたりの不自然さが残るのはやむを得ないと言えます。個人的な感想を言うのであれば、テレビシリーズで「目に見えて視聴者にウケた部分」が引き伸ばされている感が強いです(スコットやペンチのリアクションにもそれは強く感じられます)。
ファンが「その後の13人を見たい」「ケイトさんやミューラアが可哀相」などと声を上げる気持ちはよく分かります。ファン心理としてそれは当然のことです(私もそうです)。ただ、制作側がこれを真に受けて、何のメッセージ性も持たない、単にファンの要望に応えるため「だけ」のエピソードを作ることはあってはならないことです。ファンが空想の中で自由にレールを走らせることができる13人の「未来」。そこに1本の太いレールを敷いてしまったことが、結果的にバイファムという物語トータルの世界観を狭めてしまったのではないかと思います。
■このOVA4巻で目を引くのは、新しく起こされたキャラ設定や新BGMなど(予算的、時間的に)非常に作りが贅沢であるということです。当時発売されたBGM集も「新BGM集」と謳われるなど、バイファムの新たなシリーズであるとの表現が目に付きます。当初OVA1〜3に近いフォーマットとして考えられていた「72時間の滞在」というサブタイトルが、最終的には「ケイトの記憶 涙の奪回作戦」というまったく新しいサブタイトルになったのも、新しいシリーズとしての表現の一環であったと考えることができます。
一方、新調された13人の服装は、デザインこそ大きく違うものの、限りなくオリジナルシリーズでの服装に近い色遣いとなっています。これは色彩によるイメージを崩さないようにしようという意図があったと思われ、色彩も含めて大幅に変更になったロディやクレアを除いては、そのほとんどが以前の服のマイナーチェンジ的な変更に留められています。当時各アニメ誌のインタビューに植田プロデューサーが語った言葉にもある通り、このOVA4巻は「第2部のスタート」と位置付けられています。つまり、テレビシリーズを第1部と捉え、ファンの反響次第ではこのOVA4巻以降のエピソードを「第2部」として展開する構想があったことが分かります。わざわざこのOVA用にBGMや主題歌を新録したりした意図も分かろうというものです。
■このOVA4巻のみどころのひとつはオープニング。オリジナルシリーズ第16話の作画監督を担当された伊東誠氏によるこのオープニングは、多少のぎこちなさは残るものの、これまでの「バイファム」とはいい意味で違った新鮮さとテンポのよさを醸し出しています。余談ながら、このOVA4巻の主題歌「つばさ」の歌詞の内容は、オリジナルシリーズの主題歌である「Hello,VIFAM」や「NEVER GIVE UP」とは異なり、子供達を第三者的な視点で見たものとなっています。このあたりは、本シリーズとはリリース時期に間が空いた証明であると同時に、当時のファンやスタッフにとっての作品に対する「距離」が如実に表れたものであると言えそうです。また新BGMの中で目を引くのは、本シリーズの挿入歌「君はス・テ・キ」のアレンジであるBGMが多用されていることです。何から何までオリジナルシリーズと違うBGMにするわけにいかなかったという事情もあるのでしょうが、このOVA4巻が最終回のあとにつづく物語である…ということが表現されていると解釈することもできます。余談ながら「新BGM集」の中には本篇で使用されなかったBGMが多数収録されており、このOVA4巻にどのような雰囲気が求められていたのかを感じることができます。
■このOVA4巻は言ってみれば「主役不在のドラマ」です。OVA3巻にはまがりなりにもスコットという主役がいて、物語は彼の視点を中心に展開していました。このOVA4巻では、基本的にはロディの視点で描かれてはいますが、劇中ではあちこちのキャラへ視点が行ったり来たりします。子供達全員が主役である…と言えば聞こえはいいのですが、視点をひとりに固定したくてもできなかった制作側の苦心の跡が見て取れます。それぞれのキャラクターにすでに固定ファンがついているシリーズの難しさ特有のものであり、のちの「13」においてもこれと似た傾向を見ることができます。
■このOVA4巻は、ケイトが記憶を取り戻すまでの子供達の活躍が物語の縦軸になっています。そのため、本来であれば大いに盛り上がるべきカチュア&ジミーとの再会、およびミューラアの再登場といったシーンは比較的あっさりとした描写で終わってしまっています。この「二重三重と見どころがある」ストーリー内容についてはスタッフの方も大いに苦心したと見られ、それぞれのシーンでさまざまな演出手法(前者の場合はフォト形式の画面のインサート、後者の場合はロディがミューラアのパブに行くまでの旅の行程を描写)が試みられています。他にも、冒頭で既に8人の子供達が集結した状態で物語がスタートするなど、やろうと思えば幾らでもエピソードを作れたであろう箇所においても、あっさりとした描写で終わってしまっています。もともとこのOVA4巻は1クール程の物語であってもおかしくないくらいエピソードにボリュームがあり、制作側にとってはむしろこれらのエピソードをいかに切り捨てるか、省略するかが苦心のしどころであったと思われます。余談ながら、冒頭のカチュア・ジミーとの再会シーンで登場していないスコット・マルロ・ルチーナは、その後カチュア達と2年ぶりに再会したはずのシーンにおいても全くノーリアクションという、冷静に振り返ってみると非常に不可思議な演出も見られます。
■このOVA4巻では、ケイト・ミューラアだけではなく、ジェダやサライダ、デュボアまでが再登場しています(他にも、画面上では美青年ゲリラらしきキャラクターも確認することもできます)。それを考えると、ガイ・ユウ・メル・ケイ達あたりを13人に対応するククト側からの親善大使として出演させてもおかしくはないと思うのですが、さすがに彼らを出演させることまではスタッフも気が回らなかったようです。テレビシリーズを語る時欠かすことのできないキャラクターであるだけに、個人的にはちょっと残念な気がします。
一方このOVA4巻唯一の新登場キャラと言えるのが、ククトニアンの女性ネラ。彼女が着用していたかつらは劇中でほとんど意味がなく、要は「一瞬ケイトと見紛う」演出のためだけの登場でした。「13」において、赤ちゃんのミルクネタのためにクレアの胸が大きめに描かれたのと同じ理由であると言えます。
■中盤で登場したバイファムは、オリジナルシリーズの第28話でスコットが搭乗した練習用の機体という解釈が正しいようです。もっとも、仲間を逃がすためとはいえ、ただ捜索に来ただけのククト軍に大木を投げつけるなどの妨害行為を働いていいのか?といった率直な疑問は残ります。また彼らがジェイナスを離れてから2年経っているわけで「イグニッションがまだ生きてるみたい」というケンツのセリフも、いかにもご都合に聞こえるのは仕方ないところでしょう(というかご都合そのものですね)。いずれにせよ、本作の制作にあたって「何らかの形でバイファムを登場させろ」という条件がつけられていたことは容易に類推できます。
■思春期真っ只中である13人の子供達にとって、テレビシリーズ最終回以降の2年間というのは非常に長い歳月であるはずです。しかし本作ではこの2年間に当然起こったであろう子供達の成長、内面の変化は殆ど描かれませんでした。彼らの変化らしい変化と言えば服装や髪型レベルの違い、そして冒頭で生活環境の変化にロディ達が戸惑っている描写があるくらいで、個人の性格や主義主張といった点での変化を示す描写は皆無です。本来であれば、両親に会うために長い旅を経験し、そしてさらに2年の歳月を経た彼らは、それ相応に成長していなければならないはずですが、何故そのような描写が存在しなかったのでしょうか。それは「視聴者が彼らの成長を望んでいなかった」からに他なりません。視聴者にとっては13人は13人のまま存在し、自分達の知らないところでの変化は許されないものだったのです。冒頭ジミーと共に双眼鏡でRVを見て歓声を上げるケンツの姿はテレビシリーズ第2話の頃と何ら変わっていませんし、他のキャラにしてもそれは同じことです。本作で2年の歳月が流れていたのは、単に地球とククトが和平を結んで云々…というシチュエーションを消化するのにそれだけの年月が必要だったからであり、ファンサービスとして本作を見ていた子供達には必要のない時間であったことが分かります。勿論冒頭の13人の再会を必然性のあるものにするためにはこれらの期間は必要だったことは分かりますが、年月の経過を必要とする部分・必要としない部分がひとつの物語の中に同時に存在していたことにより、本作でのキャラクター描写については何とも言えないぎこちなさを感じます。
■ケイトの記憶が戻るキーとなるのがジェットの爆音であるというのは、本篇との繋がりを考えた時重要なポイントです。劇中では他にも、リフレイドストーン(のレプリカ)に記憶の片鱗を見せる様子も描かれますが、視聴者が当然のように期待するケイトのバンダナ、クレーク博士、ジェイナス、湖のほとりでのキャンプといった小道具に対する反応はありませんでした。個人的にはジェットの爆音がキーになるという展開は、ロディの「楽しかったことだけを思い出してください」というセリフが持つ意味と相反するような気がしてならないのですが、このへんは個人の好みの問題かもしれません。
■OVA3巻でお笑いキャラとしてのポジション(失礼)を不動のものにしたスコットとペンチはこのOVA4巻でも健在です。フレッドに抱きつこうとしてズッこけるペンチ。仲間をケイトのもとに向かわせるため、宿舎で前代未聞の一人13人芝居を演じるスコット。ペンチはまだしも、スコットについてはのちの「13」でもますますキャラクターがパワーアップし、シリーズ序盤と比較するともはや別人となった感があります。物語の時系列とはまったく別に、彼らのキャラクターが作品の発表順に「進化(退化?)」していることがよく分かります。
■終盤の物語の舞台となる湖畔は、オリジナルシリーズ第6話の舞台となったベルウィック星のオアシスとそっくり。このオアシスを意識した舞台設定だったことは劇中の会話を見ても明らかです。
■友好式典で子供達に声援を送るククトニアンの反響は、オリジナルシリーズ第46話の地球軍兵士の反応とそっくり。また「WELCOME KIDS」という垂れ幕の言葉も、やはり第46話でバンガード艦内にかかっていたものと同じです。
■この回のクライマックスは、ケイトが記憶を取り戻し、そしてロディ達の乗った飛行機がUターンしてくるところで終わりを告げます。感動的なラストシーンではありますが、仮に記憶の戻ったケイトが実際に彼らと再会していた場合、またOVA何本分にも匹敵する新たなドラマが生まれていたはずであり、それによって当初から細かいディティールを無視して進行していたこのOVA4巻のストーリーが破綻する可能性があったことは容易に想像できます。そういう意味からも、このラストシーンの幕の引き方は必然であり、そのことがまたOVA4巻以降の「バイファム」の物語の芽を摘んでしまったと解釈することもできます。本筋としての「バイファム」の物語が行き詰まったことが別の形で表現されたのが、本作におまけフィルムとして添付されていた「シカゴ・スーパーポリス13」だったのかもしれません。そしてこのエピソードを最後に、バイファムという物語は13年間の長い眠りにつくことになります。


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