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第11話
「さらばベルウィック・ジェイナスの旅立ち」

1984年01月06日放映


宇宙ステーションに向かうために何とかシャトルの操縦をマスターしようとする子供達。一方ジミーは両親に見てもらうために基地の滑走路に自分の似顔絵を描き始める。つられて似顔絵を描き始める子供達。彼らの操縦するシャトルは離陸に成功し、ステーションに係留されていたジェイナスに無事到着した。ケンツの手を借りて自分の部屋に荷物を取りに行こうとするジミーはあやうく遭難しかけたところをロディやカチュアに助けられる。自分の荷物を回収してジェイナスに戻ったカチュアだったが、彼女は自分の幼少時の記憶がはっきりしないことに疑いを抱いていた。

この回でベルウィック星を舞台とした物語が終了し、物語の舞台は第4話以来の宇宙へ戻ることになります。そして第2クールからの新たな展開に向け、カチュアの出生の秘密についてのネタ振りがこの話からスタートします。

ジェイナスの待つ第2ステーションに戻ることを決めた子供達は、アゾレック基地でシャトル発進の準備を進めます。ケイトやスコットがマニュアルの難解な語句に頭を悩ませる中、理解力のあるところを見せるカチュア。食料などの物資を積み込む子供達の姿には、第4話でベルウィック星に降下してきた時に比べ逞しさを感じさせます。
そんな中、ジミーがペンキとブラシを持ちだして滑走路に何やら絵を描き始めます。両親が見て分かるように大きく自分の顔を描いておくのだと言うジミー。真似をしてめいめい滑走路に落書きを始める子供達の中で、ジミーの様子を見て悲しそうな顔を浮かべるカチュア。彼女の脳裏に両親の乗ったシャトルが爆発するシーンが蘇ります。そう、彼女とジミーの両親はすでにこの世にはいないのです。

子供達を乗せたシャトルは無事離陸します。自分たちの描いた似顔絵を見て歓声を上げる子供達。彼らは無事ステーションに係留されたジェイナスに到着し、早速出発するための準備をすすめます。
そんな中ジミーはケンツに宇宙服の着用のしかたを教わり、ステーションの自分の部屋に戻るため船外に出ます。道に迷いあやうく遭難しかけるジミーですが、ロディ達によって助けられ九死に一生を得ます。ロディと共にジミーの救出に同行していたカチュアは、帰り際に母親のカバンを見つけます。家族のアルバムに自分の幼少時の写真がないことを不思議に思うカチュア。極めて意味深なこのシーンは、第14話からの事件の幕開けでした。

■「パパとママのそのお写真、大切にするのよ」と言ったきり泣き出してしまうカチュア。彼女が何故泣き出したのか分からないジミー。このラストシーンをはじめとして、この回ではカチュアの描写に相当の時間が費やされます。時間軸で言うと第4話直前に相当する回想シーン(ステーションで敵の攻撃を受け避難する場面)のほか、過去にリフレイドストーンを見た記憶があることをケイトに語るシーン、そして回収した母親のカバンからアルバムを発見して自分が幼少の頃の写真がないことをいぶかるシーンなど、この回はカチュアが主役であると言っても差し支えないだけの演出がなされています。これは紛れもなく第2クールからの展開の伏線であるわけですが、この時点ではまだカチュアは他の子供達とほとんど親交がなく、ケイトまたはジミーとの会話か、あるいは自問自答によってのみ描写され、それによって劇中での独特の存在感を生み出しています。
■冒頭でシャトルのハッチ内を調べるバーツとカチュアのカットは、その筋では有名な永野護氏の設定資料を基にしたものです。特にカチュアについては後頭部がちょっと大きめのいわゆる「永野調」で描かれており、設定資料でもほぼ同じ構図の絵を見ることができます。
■この第11話でのジミーは両親が亡くなっていることを一切知らず、カチュアだけがそのことを知っているという形で演出が行われているように見えます。その一方、のちの第42話においてはジミーは両親が亡くなったことについて「僕、知ってる…」と呟きます。ジミーは両親が亡くなった事実をいつ知ったのでしょうか。
ここでひとつの仮説が浮上します。実はジミーはこの第11話冒頭の似顔絵を描くシーンで、パパやママが似顔絵を「見て」くれるかもしれないとは言っていますが、「見つけて」くれるかもしれないとは言っていません。その後シャトルの窓際での「(ママが)見てくれるかなぁ…」という台詞を含めてジミーの台詞におけるこの表現は徹底されており、「見つける」という表現は一切使われていません。
「見る」と「見つける」の違いとは何でしょう。答えは簡単です。つまりひょっとするとジミーはすでにこの時点で両親の死を知っており、彼の「見てもらう」という台詞は「天国のパパとママに見てもらう」という意味だったのではないか、という解釈が成立するのです。この回後半ステーションで救出された時のジミーの涙、それは両親を失ったことに対する悲しみの涙であったということになります。この回のラストシーンの「地球に行けば会えるんだよね」という台詞についても対象となる人物が必ずしもジミーの両親だったとは言えない面もあり、彼が指していたのはカチュアと彼女の両親が「会える」ことだったという解釈も不可能ではないのです。
ジミーが上の第42話の台詞については様々な舞台背景の変更もあり、最終回への伏線としてやむを得ず挿入されたものである可能性は否定できません。しかしこの回の台詞回しは注意して見返すと非常に意味深なものであり、ジミーが両親の死について知っていたという説を否定する材料がないのもまた事実です。
(なお「13」第1話の同じシーンにおけるジミーの台詞はこのあたりの微妙なニュアンスが一切失われてしまっており、検討の対象にはなり得ないことを付け加えておきます)
■「やめなさいって言ってるでしょう!」クレアがキレたのはこの回が初めて。クレアがこういうキャラクターであるということを事前に視聴者に見せておくことで、エピソード的には後の第19話にスムーズに繋がることになります。また、ケンツとシャロンの本格的な喧嘩もこの回が初めてでした。
■シャトルの中、無重力空間で遊ぶ子供達。シャロンがマルロに「(ここでオシッコしたら)丸い球になるんだぜ〜」と言い、マルロがそれを試そうとするシーンがあります。のちの「13」第4話との繋がりを考えた時興味深いシーンです。また無重力のシャトル内でのシチュエーションは、同じく「13」第20話でも酷似したシーンが登場します。
■ケンツの「軍曹」という肩書きが登場したのはこの回が初めて。「軍曹」と呼ばれたことで彼は一気に視聴者にとって身近な存在になります。彼を初めてそう呼んだバーツのセンスもなかなかのものです。また「ケンツが先走る→バーツが叱り付ける」というパターンもこの回あたりから本格的に定着してきたと言えます。
■ジェイナスにやって来るのは初めてのはずのバーツがブリッジで開口一番「(ジェイナスが)無事だったぜェ!」と言うのはご愛嬌。一部のファンがアニメ誌上などでツッこんだようですが、当時の私はこの発言が誤ったものである事にまったく気付きませんでした。スタッフもこの発言が「うっかり」していたものだったと認めていますが、これはバーツがこの時点で既にメンバーの中に溶け込んでしまっていたことを示していると言えるでしょう。


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