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第3話
「 生存確率0.29%! 絶望への挑戦! 」

1983年11月04日放映


緊急発進したために兵士の数が足りないジェイナス。避難してきた子供達を含む民間人もまでも戦闘配置につくことになった。再び来襲した敵の機動兵器に対し、艦長に代わって指揮を執っていた中尉は自らラウンドバーニアンで迎撃に出る。コンピューターが算出した0.29%という生存確率に愕然とするクレークと子供達だったが、中尉は味方機をジェイナスに帰投させ、子供達を守るためにひとりバイファムで敵艦に特攻していった。

「子供達が自分達の力だけで道を切り開いていく」というのがバイファムの主題であるとすれば、この第3話は非常に特殊な構造を持った回という事になります。「0.29%」の生存確率に賭け、敵艦に特攻して子供達を守った中尉。彼は劇中では本名が明かされず、単に「中尉」と呼ばれていました。しかし彼には、匿名でなければならないきちんとした理由がありました。

クレアド星を脱出した民間人を乗せ、ベルウィックの第2ステーションに向かうジェイナス。スペースドック出発時に多数の軍人が死亡したことにより、艦長の代行としてジェイナスの指揮を執る中尉は民間人に協力を要請します。中尉ら軍人は彼らにビーム砲の使い方を教授する一方、クレークとケイトにブリッジのコンピューター類の操作を任せます。
一方、食堂に残された子供達は早速トラブルを起こします。「カノン砲を撃った事がある」と言い張るケンツと、それを信じようとしないマキ。喧嘩を始めた2人の仲裁に入ろうとしたスコットは戦闘配置に志願しなかったことをケンツに責められ、返す言葉を無くします。この一連のシーンでスコットを認めていなかったケンツが、数々の出来事を経るうちに彼をリーダーとして認めていくのがのちの「ベルウィック星篇」の一つの柱となるわけですが、この場面はそんな子供達らしさが初めて描写されたシーンであると言えるでしょう。

そんな中、再びジェイナスに追っ手が迫ります。中尉はブリッジをクレークとケイト、そしてスコット達に任せ、残された軍人全員で出撃します。 しかし圧倒的な敵の戦力の前に次々と撃破されていく味方のRV。人員減少率が1.8を越え、コンピューターがはじき出した生存確率の数字は「0.29%」。クレークの言葉を借りると「まさに奇跡」ということになります。中尉は部下二人をジェイナスに帰投させ、自ら0.29%の奇跡に賭ける決心をします。

バイファムのコクピットでネクタイを緩め、ペンダントの中の妻と息子をじっと見つめる中尉。自爆装置をセットした彼は、家族と過ごした日々を脳裏に浮かべながら敵艦への特攻という手段を実行に移します。ここでの彼の命懸けの行動は「立派な大人達」の象徴としてのものであり、回想シーンに登場する彼の息子はジェイナスに残された子供達の分身です。そして彼と息子を見つめる妻は、家庭=守るべき存在の象徴として捉えられるべきものでしょう。
そして、中尉に劇中で具体的な名前が付与されなかった理由は、まさにこのシーンにあると言えます。この回実質的な主人公でありながら彼に名前が与えられなかったのは、意図的に名前を明らかにしないことで「大人達の代表」としての立場を明確にするための演出だったと推測されます。このシーンが視聴者に「○○中尉という人は特攻して子供達を守った。立派な人だった」と解釈されてしまっては、この回のテーマがあやふやになってしまうからです。彼はあくまで一個人ではなく「立派な大人達」の象徴でなければならなかったのです。
その証拠に、中尉はジェイナス艦内でロディら子供達との個人的な接点がありませんでした。もし中尉を一個人として描くのならば、出撃前に子供達と何らかの交流を持つ場面をセッティングしておき、そして死に行く中尉の脳裏には家族ではなくロディら子供達の姿が浮かぶ、という演出をする事も可能だったはずです。しかしこの回ではそういった演出は行われず、中尉は脳裏に家族の姿を思い浮かべながら、あくまで任務に忠実な形で死を選びます。そしてそれをブリッジで見つめる子供達は中尉の「死」という事実こそ理解できても、彼がどんなことを考えながら死んでいったのかは知らないままです。中尉と子供達の間の存在するこの微妙な隔たりこそがこのエピソードを理解する上で大きなポイントであり、同時に中尉が個人としてではなく「立派な大人達の象徴」として描かれていた証明であるとも言えます。彼に名前がないのは決して付け忘れられたではなく、この主題を追求して描く上でむしろ必然的な演出だったと言えます。
第1話以来登場してきた数多くの大人達の代表として、「守るべき存在」のために特攻する役割を担わされた中尉。爆発によって吹き飛ばされるペンダントは彼が子供達から離れること、つまり死を意味していました。彼の死により「0.29%の奇跡」は現実のものとなり、ジェイナスの危機は去ります。

…本放送当時に13人の子供達に近い年齢でこの番組を見ていた我々は、いまでは社会の中で一人の大人としての生活を営んでいます。我々は中尉と同じように、社会的な責任や義務を全うすべき立場に立たされているのです。果たして今の私達は中尉のように「守るべき存在」のために身を呈する事ができるでしょうか?
「バイファム」というシリーズを通して見た際、この回はどうしても子供達中心のエピソードの影に隠れてしまいがちです。しかし我々が大人になった今、この回は当時と全く異なる視点で味わうことができる稀なエピソードであると言えます。私達は中尉の立場を通して、このエピソードが持つ意味を今一度じっくりと考えてみるべきなのかもしれません。
■中尉の特攻シーンに関して視聴者にインパクトを与える上で大きく貢献しているのが、特攻に使用されたのが主役メカのバイファムであったという点です。これがもしネオファムやパペットファイターであれば、このエピソードがこれほど印象に残るものだったでしょうか?敵艦との間に入ったARVウグに頭部を破壊されてなお敵艦との間合いを詰めようとするバイファムの姿には、本放送当時強いショックを受けた事をよく覚えています。番組開始からわずか3話目にして主役メカにこのような役回りをさせてしまったという点に、スタッフの方々のただならぬ気迫を感じることができます。
■第2話ラストのナレーションとこの回冒頭の中尉のセリフから計算すると、この回がスタートした時点でジェイナスの乗組員は軍人8名、民間人12名、クレーク以下子供達計12名の計32名ということになります(この回出撃するのはRV6機とパペットファイター2機なので、中尉のセリフにもあったように8名の軍人全員が出撃したという計算になります)。この回のラストでは乗組員は軍人2人とクレーク以下子供達計12名の計14名になり、残った2人の軍人も次の第4話で舞台から退場することになります。この回冒頭の食堂シーンでの民間人の数は明らかに上の人数より多すぎるのですが、これはご愛敬。
■冒頭の食堂での場面で、フレッドが兄ロディが猫をいじめたエピソードをバラすシーンがあります。このシチュエーションはその後の新作「13」第18話においても類似のシーンが登場します(こちらはコーヒーの飲み過ぎでロディがアレルギーを起こした、というものでした)。ちなみに脚本はいずれも平野靖士氏。
■この第3話と同様の構造を持った回として、のちの「13」の第9話、赤ちゃんと13人を守るためにホルテとルービンが命懸けの活躍をするエピソードが挙げられます。熱を出した双子の赤ちゃんを自らの体温で救おうとするホルテと「0.29%」の可能性に賭けて散った中尉とを単純に比較する事はできませんが、いずれのエピソードも「守るべき存在」を前にした大人達の決断を描いていることに変わりはありません。この2つの回共に脚本を担当されている平野靖士氏を始めとするスタッフの狙いは、こういう部分にあったのかもしれません。
■中尉の脳裏によぎる数々のカットのうち、最後に登場するのが「妻」だったという点はひとつのこだわりの演出だったのではないかと思います(ちなみにこのカット、直前に挿入される「川の流れ」「息子」「木洩れ陽」よりわずかに映し出される秒数が長くなっています)。この演出が脚本段階から指示されていたのか、それとも映像になる段階で初めて付与されたのかは私達は知る由もありませんが、わずか1秒にも満たないこのカットは死を目前にした中尉の「生」への限りない執着を表す演出として注目すべきだと思います。


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