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13years
1983-84掲示板(過去ログ1)
<このページに投稿頂いた方一覧(敬称略)>

ペブルズ/エリー/BAT/深度測定長/満珠/ほうがん/香里園メトロ/kan/あさこ/MACH/yasu/CAFEO/はるか/Nobby/たけはら/cuts/かつひろ/こまーち/旧ろでぃ/上村@上智大/むぎわら帽子のジミー /Crow/よかろう/のおこ/MAGI


MACH 投稿日: 99年2月9日

ご存知の方も結構居られるかと思いますが、80年代に活躍した10組の
アーティストのベストCDが、1月30日に「STAR BOX」という
共通のタイトルで発売されました。その10組のアーティストですが・・・

X(エックス)
米米クラブ
TM NETWORK
TMN
爆風スランプ
バブルガム・ブラザーズ
バービーボーイズ
PRINCESS PRINCESS
UNICORN
REBECCA

もーどこからどうみても80年代て感じでなかなかいいです。
個人的には、これに佐野元春とサザンを加えれば完璧なのですが、
レコード会社が違うのでしょうがないですね、こればかりは。
興味のある方は完全限定生産なのでお早めにどうぞ。
(なんかメーカーの回し者みたいだな(^^;)

で、ここからは個人的な話なんですが、REBECCA・UNICORN・バブルのはすでに
購入したのですが、一番欲しかったバービーボーイズのがどこに行っても無く
て結構焦ってます。だれかまだ残ってる所あったら教えて〜。

〜追記〜
ある店の親父いわく
「うーん、バービーは予約が少なくて生産を押さえたみたい。ただその割には
ファンだった人が必ず買ってくからなぁ、かなり難しいと思うよ」とのこと。

・・・ファンの付きかたがなんとなくバイファムと似てるな、と思った私。

のおこ 投稿日: 99年2月6日
私にも語らせて!
MAGIさんが書かれていたことそのままかもしれませんが、
金曜7時放送だったのが、広島ではなんと土曜1時とか1時20分とかいう
中途半端な時間になってしまいました。
姉、兄はこの時点で半分あきらめたようでした。ビデオの存在すら知らなかった
私は当時小4。若さと気力で後半すべて見逃さずに見ました。
あの頃、姉にわざわざ英語の歌詞をすべてカタカナにかきだしてもらって
意味もわからず覚えたのを思い出します。
その記憶は今でも残っていて、歌える自分がいるというのが、
三つ子の魂百までだなーと実感します。

でも実は1話目を逃しているという事だけは今でも悔しい気持ちが思い出されます。
そして一昨年、深夜再放送が始まることをいち早く知り、私がテレビをつけると・・・
そこでは2話目を放送しておりました。
私は一生、生で一話目をみることはできない運命なのか?

ひさしぶりにこのページへ遊びにきて、語らせていただきました。

よかろう 投稿日: 99年2月1日

こんなHPがあったなんて・・
あれは中1.いつもは七時からだったのに
夕方の放送になり部活に励んでた僕はそれ以後
もなるべく見るようにはしていたがあまりみること
ができずついには最終回をみることができなく
唯一のストーリを知る方法としてコミックボンボンで
こんな風な終わり方をしてたんだとおもいつつはや
十数年、地方TV局で一回目から最終回までみること
かできるなんて・・・・
最終回、涙もんでした。
み〜なさんもいまじゃ有名になりましたね〜

Crow 投稿日: 99年1月26日
出会いは10才。
新番組が始まると聞いて、学校帰りにガンプラの予約を入れるのを我慢して速攻で帰った夕方に、それは始まった。
オープニングでまずやられました。
人生決めたのもこのOPの[HELLO VIFAM]になろうとは。
「英語だよ・・・なんかパイロットっぽいしゃべりしてるよ・・」
当時、私の住んでる地域では、ミリタリーファンから流れたいわいるガンダム世代が豊富でした。
「なんか、こっちの方が本物っぽい」
これが正直な感想でした。
そして、ひとしきり見終わった後。
「俺、パイロットになる!」
短絡ですね(笑)
で、なっちゃいました航空自衛官(爆)
これを話すと「マクロスの影響じゃないの?」と、良く聞かれますが、マクロスの場合、特車搭乗員(戦車兵)の方になりたくなると思うんですよね。
確かに、その後の中学時の「Top Gun」の影響は強かったかもしれませんが、その時はすでに空を飛ぶこと以外・・・いや、英語で管制官と会話する(これは当時考えていたままの言葉です)事以外考えられなかったのは事実です。
愛機と会話しながら飛ぶことを夢見つつ・・。
防人として、空を飛んでおります。
願わくば、おいおい、こんな奴に国任せていいのかよと、思われないよう(笑)
でわ。



むぎわら帽子のジミー 投稿日: 99年1月18日
 当時、「バイファム」は非常に好きな作品でしたが、もうひとつお気に入りの作品があって「とんがり帽子のメモル」にかなりハマっていました(ネームを見ていただければ「バイファム」と「メモル」が好きな奴なんだろうというくらいの想像はつくかと思いますが)。
 実際に見始めたのは「バイファム」の放映終了後、日曜の朝に移動してからでしたけど、「バイファム」が終わって「週一回の楽しみがなくなったな〜」と思っていた頃に好きなアニメが見つかったので、よろこんでました。
「バイファム13」を例に挙げるまでもなく、最近は過去の作品がいろいろリメイクされているので、「そのうち『メモル』も佐藤順一/監督、只野和子/作監で復活してくれないかなぁ」なんて思っています。その気配はないようですけど。先に「レイズナー」の新作が登場したりして。37話と38話の間の、ボツになったエピソードを当時書かれた脚本通りに作るとかね。
 今年、ドイツに留学する予定なので、現地でドイツ語を話すロディ達やメモルに会えたらいいなぁ、と思っています(その場合ククト語は、ドイツ語を逆さに読ませることで済ませるのだろうか?)。以前旅行に行ったときは、「キャプテン翼」と「ポリアンナ」を放送してました。この2本もたしか「バイファム」と同時期のアニメでしたよね? 女の子は必ずと言っていいほど「キャプテン翼」にハマるのが不思議でした(私の姉も例外ではなかった)。
 ちなみに私は、ジャニーズの社長が「翼」を見て、「今の若い女の子は、同じような顔をした男の子のグループに熱狂する傾向があるのではないか」と分析し、その結果として光ゲンジを始めとしたSMAPとかTOKIOのような集団グループが送り出されたのだと分析しています。あくまで想像ですけど。

BAT 投稿日: 98年12月19日
>旧ろでぃさん
ニック・カーショウとは懐かしい!と言いつつなぜかヒューバート・カー
を思い出していた私は、全然憶えていないようです(笑)
ちなみにテレビ神奈川でやっていたのは、下で私が書いているSony Music TV
でしょう。私はテレビ愛知で観ていました。
イギリス系がお好きだったようにみえますが、そうするとこの季節は
Do They Know It's Christmas? (BAND AID)
なんでしょうか?

80年代の象徴、MTV。音楽以外にも多大な影響を及ぼしたMTVが最も
パワーがあってプロモーションビデオが溢れていた時代。
Video killed a radio starなんて事も言われました。

最近は、80年代もののCDが沢山売っていて、買いやすくっていい感じです。
というか、当時のCDを聞くというだけの話ですけど。
何年か前に80年代モノをチョコチョコ買ったりしたんですが、当時はまだ
コンピレーションアルバムなんてなかったんで、古いCDを捜してました。
それとLDでビデオクリップ集モノを買ったりも。

※「Do They Know It's Christmas?」は、イギリスのミュージシャンが集まって
エチオピア難民救済のために作られたチャリティソング。1984年。
こういうチャリティが定着したのもこの頃のような気がします。

香里園メトロ 投稿日: 98年12月16日
>旧ろでぃさん
お仕事御疲れさまです。
イベントに出演された旧ロディさん、私も見に行きましたー!
札幌でのイベントだったのですが・・・「ケイトの記憶〜」の発売前の試写会イベントでしたー。懐かしや〜。(笑)確か夏休み中でした。そして私は旧ろでぃさんの御サイン色紙(笑)を戴きました・・・。(ビデオの予約特典 笑)

上村@上智大 投稿日: 98年12月15日
「超人ロック」についてです。(ファン歴8年の新参者ですが…)
注: 去年が生誕30周年です。

映画化されたのは「魔女の世紀(ミレニアム)」です。
その後は、1990年と、91年に「ロード・レオン」、「新世界戦隊」が
OVAになりました。声は飛田展男です。95年に「ミラー・リング」(当時連載されていた
作品です)がやはりOVAになるはずだったんですが、未だに音沙汰がありません。
あとは96年くらいに「コズミック・ゲーム」と「炎の虎」がドラマCDに
なりました。声は緑川光。

現在はビブロスというちょっとアレな出版社の、「ZERO」というやっぱり
ちょっとナニな季刊少女漫画誌(?)で連載しています。
現在の連載は、「流浪」の続き(トレスがどうなったか、で分かります
でしょうか?)の話です。

これだけだとこの掲示板に絡まないので。もう少し。
当時のことは知らないのですが、アニメ化は激烈な議論を呼んでいたそうです。
この映画自体、当時経営がまずかった「少年キング」を救済するような
意味があったそうなので、当然と言えば当然かも知れません。
制作が日本アニメーションだったのも作画的にちとまずかったみたいです。
(見たことあるんですが、当時は分からなかったです)
が、1984年のアニメ映画は「ナウシカ」と「マクロス」に話題を
かっさわれて、「超人ロック」はその陰に隠れてしまったとか。

という訳でむやみに濃い話でした。ごめんなさい。

旧ろでぃ 投稿日: 98年12月11日
わーい。久しぶりに来てみたらこんな掲示板が…。

うーん、83年から84年にかけては僕にとっては激動の年でしたね。ロディ役を貰ったことをきっかけに、色々な他の番組にも出演できたし。中でもアニメトピアのイベントに何度も参加させていただいたのは、かなりなカルチャーショックでした。というのも、それまでイベントなるものに参加したことがまるでなく、またレコード(死語)に自分の歌が入るなんてことは夢にも思ってなかったな(いきなり生まれて初めてのイベントでセーラー服なんか着せられちゃったし(笑))。でも高校3年の受験で忙しいはずの中、大阪や名古屋とかに行けて、たくさんの人と会うことができて、本当に嬉しかったのを覚えています。イベントに行ったときには各地の美味しい物もたくさん食べられたし。バイファムのイベントでも初めての北海道や仙台に行けたし。とにかくとても充実した2年間でした。

個人的な面では、洋楽にとにかく凝ってました。Duran DuranとかCulture Clubが好きだったなぁ。あとHoward Jones、Nik KershawやEurythmicsなんかも最高だった。テレビ神奈川でやってる洋楽番組(なんて名前だったっけ?)を見るためにUHFアンテナまで立てちゃって、好みのビデオクリップを必死に録画してたりとか。英語の発音の基礎は全部この頃の洋楽から吸収したんじゃないかな。
あとオシャレに気をつかい始めたのもこの頃だったかも。イベントでファンの人からコロンを貰っちゃって喜んでつけてみたりとか、あと劇団の他の人の影響でちょっとしたネックレスなんかも身に付け始めたり。今から考えると顔が赤くなっちゃうくらいカワイイもんだったなぁ(笑)。

80年代は本当に僕にとってはなくてはならない時でした。

こまーち 投稿日: 98年11月25日
どうも、こちらには初のカキコになるこまーちです。

1983〜84と言うと、私は小学3〜4年生だったわけで、どうにも
記憶の方は余り定かでは無かったりするのですが、コミックボンボンの
読者だった私としては、こてんぐ天丸とか、ラジコンキッドとか、
コンポラキッドとかを見ながら心ときめかせていた記憶だけはなぜか
ハッキリおぼえてます。
他にも、ファミコン風雲児とか、今見ると「なんじゃこりゃ?」(笑)
みたいなマンガもよく読んでいたモノです。

前出のラジコンキッドを見るに連れ、田宮模型のグラスホッパーやら
ホーネットやら、いわゆるRCカーが欲しくてたまらなくなり、
さりとて(当時としては)こうかなこれらのマシンを両親におねだり
するのも気が引ける、という思いにモキモキしてた事を昨日の事の
様に思い出します。

ボンボンと言えば、夏のホラー特集として「闇に浮かぶ手」、
「血を吸うマンション」という袋とじホラーマンガが2月連続で
連載され、その「闇〜」の中で主人公の女の子の見てるTV番組が
他ならぬ「バイファム」だったという事をご存じの方はいらっしゃい
ますでしょうか?

オフ会では、ボンボンコミックスの「バイファム第1巻」を披露した
私ですが、色々所持していたたバイファムプラモは遠い昔に捨てられて
しまいました。
今考えると「もったいない事したなぁ」という感じです。

過去ログを見ると、「つくば博」の事を書いて居られる方もいらっしゃる
ようですが(注:当時私は茨城県民。筑波博は全パビリオン制覇でした)
そう言ったことも含めて、この年代の事は以外と記憶に残っているもの
なのだなと我ながら感心しています。(呆れてもいます。)

酔った勢いに任せて、散文的に書いてしまいました。
ごめんなさい。

かつひろ 投稿日: 98年11月19日
「♪〜ときめく心、もしも無くしたら〜♪」の軽快なオープニングで始まる
タツノコプロの「未来警察ウラシマン」、気に入って見てましたね。
ストーリー、映像、キャラクター、音楽とバイファムと並び自分の中ではベストに入る作品でした。
その後のタツノコ作品の一つの形を作った印象があります。

バイファムの音楽も秀逸ですが、こっちも結構良いものがあります。
(LPレコードも5枚くらい出てたし)
作品内のキャラクターは良く動くし(タツノコアニメの伝統?)声優陣も安定しており毎回楽しみにしていました。

特筆すべきはやはり第26話「ネオトキオ発地獄行き」でしょう。
あの「クロード走り」は、ルパン三世の「カリオストロジャンプ」と並びアニメ史
に残るシーンでしょう(本当か?)
見たことの無いと言う方は機会があったらぜひ見てみてください。

あと前の書き込みにあった、たけはらさん、CAFEOさんも感動したという
「超人ロック」、連載されていた今は無き「少年キング」(発行部数少なかったからな)連載時から見ていました。
アニメ化になるという時はCGを使うなんてのと、アニメ化反対などの話題で賑わっていました。
当然、映画は特別前売り券を買い見に行ってました。但し原作の印象が強かったので映画のストーリーの方はあまり記憶に残っていません。申し訳ない。
(確か「魔女のミレニアム」のストーリーだったよな。ヤマキ長官出てたし)

当時は松本零士(銀河鉄道999)と聖悠紀(超人ロック)に傾倒しておりまして聖悠紀の同人(作画グループ)時代の「超人ロック」まで集めていました。
自分の絵のルーツは実は聖悠紀なんですな。
(その後、柴田昌弘に移行)

おっと、話がずれてしまったようだ(笑)

ゲストブックの方にも書いた記憶があるけど、この時代の作品がやはり一番印象に残ってますね。(一番見ていた時期でもあるんだろうな)

cuts 投稿日: 98年11月16日
83年ですか。MR.CBが3冠とった年ですね。
この当時は洋楽というかビルボードにはまりまくったころでした。ラジオ日本の深夜のアメリカントップ40やFENの1週間後れのトップ40。(ケーシーケーサム懐かしい)ヒット曲はFLASHDANCE、EVERY BREATH YOU TAKE、TOTAL ECLIPCE of the HEART等など。このころの曲を今聞くと本当に嬉しくなってしまいます。忘れちゃいけないのがDURAN DURANやCULTURE CLUB。British Invationと言われましたね。まだMTVが日本で放映されてなくてベストヒットUSAやTOKIOロックTV(テレ東)、森川由香里とピーターバラカンが司会やってたポッパーズMTVを見まくった覚えがあります。

すいません、当時VIFAMを見てなかったのでこんな話しか出来ません。

BAT 投稿日: 98年11月8日
84年秋。ビデオを買うという話になった。
先見の明のある兄が「これからはhi-fiじゃなけりゃダメだ」という
ので、当時はまだ種類も少なく高かったhi-fiビデオの中から選ぶこ
とに。
そこに、SONYから新型が出るという情報が入った。それはhi-fi
ではじめて20万円をきるというものだった。
それに決定。

そのビデオの広告にはこう書いてあった。
「SONY Beta hi-fi for MTV」
それで、84年秋から日本で放送が始まった、MTVを録った。
そのための武器を手に入れたのだ。毎日のように観た。
MTVと名がつく番組はいくつも始まり、なかでも最も好きだった、
SONY Music TVは3時間20分、プロモーションビデオを流すとい
う、βで録画するためのような番組だった。

そのときはβとVHSというのがあるのは知っていたが、それがど
ういうものかは知らなかった。
アニメ好きだから、絵が綺麗なβというような感覚はどこにもなかっ
た。hi-fiかそうでないかが問題だった。
その頃はまだ、マニアじゃあなかったし。
しかし、まだhi-fiは少数派だったと思われる、当時から「hi-fiじゃ
なければビデオじゃない」と言っていたのだから同じようなものか。

ビデオを使うようになって、生活が変わった。
それから今まで、(使える場所にいて)ビデオを使わなかった日はない。
βとVHSのことから、「”良いもの”と売れるもの、認められるも
のは違う」ということを考えるようになったのは、もう少し後のこと。

85年頃の話。友達のうちの古いビデオデッキを見て、
俺 「これ何?」
友達「時計」
それ以来、古いhi-fiでないビデオのことを「時計」と呼ぶようにな
った。

CAFEO 投稿日: 98年11月7日
 超人ロックかぁ〜!そういえば見たなぁ!
 全然知らなかったのに、何で見たんだろう?う〜む。
 なんか思い出してきちゃいました〜・・・>たけはらさん。
 私も最後、思い出してもらえないロックがとても
 かわいそうで泣けました、あのラストは今でも鮮明に
 覚えています。あれ以来、映像にはなってないのかな?<ロック

 なうしかも立ち見で見たけど(^_^;)・・・。

香里園メトロ 投稿日: 98年11月7日
えーと、放映当時・・・84年の始め・・・FM北海道の「コンピューターベスト10」という番組で、「HELLO,VIFAM」が最高4位までランキングされてました。弟と2人で喜んでいた記憶があります。アニメの曲では他にダンバインの曲が入っていたよーな。あれ?エルガイムかな?忘れた・・・。当時のヒット曲は中森明菜の「北ウィング」でした。
私もリクエストをしてました。
中学校のイベント「レコード鑑賞会」(笑)で、誰かがリクエストしたのでしょう。メニューに「HELLO,VIFAM」がありました*

たけはら 投稿日: 98年11月6日
ナウシカじゃなくて・・・
私にとって、あの頃の映画は「超人ロック」でした。
当然ラストは泣いたさ〜っきゅぅぅうロックぅぅぅっ(涙)
ナウシカ・ロック・ケニヤ・・・同時封切りでしたよねぇ?(違う?)

FMラジオ(東京FM系)で、土曜日夜だったかなぁ?
さだまさしが1時間番組やってました。
さだ氏のコンサートもそうですが、歌よりもしゃべりが楽しかったです。
んで、番組中に5・6曲かけるのですが、時々「白鳥座」もオンエアしてました。
アレンジャーの渡辺俊幸氏の話もしてたよーな気がします。
バイファムと繋がってる人がいるなぁっと嬉しかったのさ。

ペブルズ 投稿日: 98年11月5日
レス乱れ打ち(1)

皆さんの文章が面白いので、お返事書きたくなりました。
下心(笑)はありませんので、軽く流してください。

>ほうがん様、深度測定長様
 私にとって当時のソ連で印象深いのは、84年のロス五輪ですね。
 ロスの前のモスクワ五輪ではアメリカや日本が出場を辞退しましたが、
 それのお返しとばかりに、今度はソ連をはじめとする東側諸国が
 出場をボイコット(←その時知った言葉)した事件がとても印象的です。
 前年の大韓航空機撃墜事件と相俟って、ソ連は「わるいくに」という
 思いを強めたものでしたが、今思えば、小学生だった私にとって、
 あの事件はもっとも分かり易く具現化した「冷戦構造」であり、
 所謂「政治」というものの一端を垣間見た瞬間だったのかもしれません。
 そういえば、東側不参加の波の中、唯一正式に参加したルーマニアを、
 子供心にも「イキな奴やねぇ」と感心したモノでした。
 
>BAT様
 私自身は沖雅也の自殺は、正直うろ覚え程度なのですが(後年「太陽に
 ほえろ!」再放送でスコッチ刑事を見て、「惜しい人を亡くしたんだなぁ」と
 思いました)、日景マネージャーの方はやたら覚えてますね。
 確か、たけしの番組に良く出ていたような・・・熱湯にも入っていました。
 と言うことは「スーパーJOCKEY」でしょうか。
 「もーいいじゃないですか!」「涅槃で待つ」は私の周囲でも頻繁に
 飛び交っていた事を思い出します。ホントにああいう事はガキ共にとって
 ある種の「魅力的なエサ」なんでしょうね。
 ところで「こんな事書いていいのでしょうか?」なんて言われると、
 私なんて何をどうしたものやら(笑)。書いたモン勝ちだと思いますよ。
 もう立ち直られましたか?

>香里園メトロ様、cafeo様
 「あ〜る」は私もハマったクチです。のんびりしてると言ういか、まったり
 してると言うか、あの「何も起こらなさ」(実際は何か起きているのに
 事態がまったく深刻にならない)が妙にひっかかってしまう
 珍しいタイプのものに思ったものです。そういえば何故かあ〜るの
 カンペンケースを愛用してました、私。どこで買ったんだろう・・・?
 ところで私は高校時代は制服がガクランで、しかも当時は髪が結構長く、
 おまけに極度のボケキャラを自ら演出していた(笑)こともあり、
 「あ〜るに似ている」とたくさんのツッコミをいただいていました。
 そう言われるのもまんざらでは無かった(←この時点で間違っている)ので、
 一度だけゲタを履いて登校したこともあります・・・ああ大馬鹿。
 ちなみに顔はあ〜るとは全然似てません、念のため。
 
と言うわけで今回はここまで。また書きますのでよろしく。 

深度測定長 投稿日: 98年11月4日
 そういえば、当時中学生だったわたしにとって、ミューラァってすごい「大人」に(あえて
おっさんとは言わない……)見えたものでした。
 今となっては「うーむ、若いなあ」となってしまうのが少し悲しいですが(笑)。

Nobby 投稿日: 98年11月4日
もしかしたら、既にご存知の方々も多いかも知れませんが、このような書籍を書店で見つけました。

『80年代アニメ大全』 (好奇心ブック 23号)双葉社刊 定価838円(+税)

「日本アニメ黄金時代を築いた930タイトル」という見出しで、資料としても、かなり充実した内容のものです。
当然「銀河漂流バイファム」も取り上げられていますが、本文的には見開き2ページのみでした。
この書籍では、「80年代はアニメブームではなく、ガンダムブームだった」と、されています。
改めて、思い返してみても、ロボットアニメが大半を占めていたのは間違いなかったようですね。
80年代アニメソング・ベスト10というコーナーもあり、「Hello,Vifam」は6位にランクインされています。
(ちなみに、5位には「逆転!イッパツマン」の「シビビン・ラプソディー」が・・・(笑)
どういう基準で選んだのかは、不明です)
余談ですけど、バイファムのOPで作曲者のクレジットが、初期の頃は「DMann」と表記されていたのが、
後期では「Dマーン」と表記されていましたね。どうでもいいんですけど・・・

その他、「アニメオタクは、昔のVTR、それもベータマックスに詳しい」など、
思わずうなずいてしまうような内容もあり、読み応えのある書籍です。
興味のある方は、是非とも、ご一読下さい。

ペブルズ:Pebbles 投稿日: 98年11月3日
4.消えた虎仮面、落下した香港人(弐)

  1983年の夏、金曜のTV欄にまだバイファムの文字は無く、
  私と兄は当然のようにチャンネルを「10」に合わせて
  プロレス中継に心を奪われていた。
  
  「タイガーマスクが新日本プロレスに辞意を表明」
  当時のプロレス実況担当、古館伊知郎アナウンサーは
  とてもあっさりとこう言ったのを忘れない。
  タイガーマスクは新しいマスクや名前で現れるはずだったのに
  突然リングから消えてしまった。
  兄は泣いてた。多分、私も泣いたと思う。

  その夏、兄弟で映画を見に行った。
  「スター・ウォーズ:ジェダイの復讐」
  もうすぐ上映が終了するくらいの時期だったと思う。
  1,2作目を見てない私には話の内容よりも
  戦闘機や怪物・宇宙人を見て楽しむだけで良かった。

  じつはスター・ウォーズ本編よりも衝撃的だったのは
  ある一本の予告編だった。
  自転車で敵をふっとばすシーン。
  大ゲンカを繰り広げ店をメチャクチャにするシーン。
  圧巻は、20mはあろう時計台にぶら下がっている場面。
  時計にしがみついてるのはジャッキー・チェン。
  いまにも落下する瞬間に予告編は終わった。
  映画の名は「プロジェクトA」と出ていた。

 *とりあえず、もうちょい書きます! 

ほうがん 投稿日: 98年11月3日
> 深度測定長さんへ

はい、そのとおりでして、当時はアンカレッジ(またはアンカレイジ)経由で
した。もっとも、私はいまだに飛行機に乗ったことがないのですが。
今でこそシベリア経由でヨーロッパまで一直線! というのが当たり前ですが、
当時のシベリア上空は、まだまだ熱いベールに包まれていたのです。
バイファムの中でも、登場する地球軍艦艇の名前や国籍の設定に、時代を
感じさせるものがありましたね。レーガンはともかく、バンガードなんて
マイナーな名前は、今となってはほとんど元ネタを思い出せないほどですが
(確かアメリカ海軍に因んだはずなんですが、あぁ、忘れてしまった)、
あの名前を聞いて軍備拡張一直線になっていた当時の地球を、ふと目の当
たりにしたものでした。

はるか 投稿日: 98年11月3日
バイファムがなかったら、今の私はなかったと思います。
当時は中学三年生。テレビにかじりついて見ていました。
宮崎では残念ながら後半は放映されず、私の周囲にも
ずぶずぶにはまっている人がいなかったので寂しい日々
を送っていました。
高校に入って、出席番号の関係ですぐ近所に座っていた
子がバイファムが好きってことですぐに仲良くなって、
毎時間授業中に、
白い紙にバイファムキャラや、
「自分たちがバイファムキャラだったら、こんな感じ」
というような設定を描きまくることに情熱を燃やしていました。
私は彼女から小説を書くことの楽しさを教えてもらいました。
彼女は、常に私の作品の最初の読者でした。
彼女とは、今でも一番の大切な友達です。

バイファムキャラをもっと上手に描けるようになりたい!
と思って、新体操部のスカウトを蹴って(中学でやっていたので)
漫研に入りました。
見よう見まねでセル画を描いたり、
(アニメディアの、ロディとフレッドが表紙の奴を
トレースしました)
初めてオフセット本を作ったのもバイファム本でした。
修学旅行の前日が締め切り日で、
旅行の準備もしないで、必死で原稿を描いてたっけ。
当時はトーンが高くて、なかなか買えなかった。

(少し時代がずれますが)
二年生の修学旅行で、つくば博と東京ディズニーランドに
行きました。
つくばで初めて「マクドナルド」を見て、
(当時、宮崎にはなかったんです。ちなみに
「吉野屋」の一号店がこの10月オープンしました)
「本当に「スマイル0円て書いてあるがー、すげー」
とみんなで大騒ぎしました。

私にとっての83−85は、そんな日々でした。
愛しくて、懐かしいです。

香里園メトロ 投稿日: 98年11月2日
私も「究極超人あ〜る」大好きでした〜!
単行本派だったのですが・・・・。ぼんやりしているあ〜る君が大好きでした。
転校先のクラスメートに、単行本を貸しまくったら、「あんた、あ〜るに似てへん?」と言われ、かなりショックを受けたのですけど・・・。
私はほとんどマンガは読まない人間だったのですが、何故か「あ〜る」だけは全巻揃ってます。クラスメートから、誕生日祝いに「あ〜る」おしゃもじを戴きました。今でも机の前に飾ってマス。(使えない・・・)
悔やまれる事・・・当時、財政難でCDが買えなかった・・・。今でもあるのでしょうか??

香里園メトロ 投稿日: 98年11月2日
お恥ずかしい話しを一つ・・・・。
バイファムを根性入れて見始めたのは、中学2年生になった頃からでした。
もう、生活の全てをバイファムに捧げていたのでは?と思ってしまう程の入れ込みぶり・・・。アニメ雑誌を買い始めたのもこの頃。バイファムが表紙のアニメディアでした。(5月号だったかな?)
お陰で、学業の方がねぇ・・・上の空になってしまって・・・。(苦笑)
中一の頃は、まぁ、良い成績だったのですよ、そこそこに。
それが・・・担任の先生が顔を青ざめてしまう位落ち込んでしまって。一学期の成績表。そりゃぁもう。親はカンカン!!一時間半、正座させられてみっちり説教されました。「これ以上下がったら、バイファム見せないよ!」と脅しかけられて、泣きそうでした。いや、泣いたなぁ。(笑)それからはまぁ、徐々に上がり始めて、中3になってから、大分回復したのですが、やはり中2の成績がネックで、高校受験の為の内申点に響いてしまったのです・・・。
でも、あの頃の事、後悔はしてません。中2の時きちんと勉強していたら、あの高校を受験出来たかもしれなかったのに・・・とか考えても、どーせ高一の夏には関西に転校して来てたし。
あの時、一生懸命バイファムを好きになって、全力投球出来たんで、良い思い出となって心に残ってます。その証拠に、いまだに忘れられへん・・・。(笑)

cafeo 投稿日: 98年10月30日
  さっきはバイファムのことばかり書いてしまった・・。
 その当時の社会なんて、私はすっかり忘れてしまいましたが、黒いタイツの
 上に赤い靴下をはいて、ギャザースカートなんか着ていたのは覚えています。
 今思うと、たしかにすごい格好だぁ。あのころみんな着てたけどなぁ〜。
  あと水玉模様がすんごくはやったんですよね、当時。

  当時好きだったのは、本編は一度も見たことないんですが、「ゴーショー
 グン」が好きでしたね〜。OVAの「時のエトランゼ」にとても感動して、
 小説も読みました。本編を知らないけど面白くて、それぞれの登場人物が
 すごく立っているところが、バイファムに通じるところがあるな〜などと
 思っていました。その後もずっと小説は続いていたようですが、完結した
 のか知りません。冊を重ねるにつれ作者も苦労しているのが忍ばれて、やっぱ
 主要な人物が6人しかいないのはつらいな〜その点バイファムは13人も
 いるからいいよな〜とも考えていました。小説がどこまででているか、
 ご存じの方いらっしゃいませんか?

  あとは、こちらのHPにもありますが漫画の「究極超人あ〜る」ですね〜。
 真剣に自然体でバカなことやってるのが大好きなので・・。「ドラえもん」
 や「うる星やつら」のように、登場人物が年をとらないというのがなくて、
 やがては高校を卒業し就職したり進学したりそれでもやっぱり光画部である
 ところは変わらない・・っていうとこが、身近でうれしかったのもあります。
 モラトリアムな考え方ですけど・・・。特に「しいちゃん」が好きで、ああ
 いう女の子になりたいな〜などと思っていました(^^;)。

  それにしてもみんないろんなことをよく覚えてるなぁ〜・・。私はこんな
 ことばっかりです(^^;)。

cafeo 投稿日: 98年10月30日
 なんかしみじみしてしまう掲示板ですねえ〜。
 15年前!なんとまぁ昔なんでしょう。私も兄貴が2人もいるので、ご多分
に漏れずロボットアニメの番組はよく見ていました。っていうか、見させられて
いました(^^;)。どんなに抵抗してもほかのものは見ることがかなわず、そのうち
それがふつうになってってしまったような感じでした。
 「りぼん」とか少女漫画は見たこともなくて、愛読雑誌はサンデーでした。

 バイファムも、そんなロボットアニメの一環として気楽に見始めたのですが、
2〜3話くらいでかなりツボにはまって、6話くらいからはもう完全にその他の
番組とは一線を画していました〜。兄貴よりも私の方が全然のめりこんでました。
 結構、クラスでも見ている子は多かったので、割と自然にバイファムの話とか
してましたね。21話の翌日なんてかなり盛り上がってしまいました。「昨日、
見た〜!?」とかぎゃーぎゃー騒いでいた記憶があります(^^;)
 
 ひとり、同じくらい夢中になっている子がいて、仲もよかったのですが、
「消えた12人」がでたぐらいから、だんだん「アニメが好きなんてやっぱ
恥ずかしい」てな感じで冷めていってしまったのが当時とても悲しかったです。
私のなかでは「アニメ」っていうより「バイファム」という固有名詞だろうと
いう意識が強かったので・・・。バイファムよりC−C−Bを選んだ彼女(^^;)
いまごろどうしてるやら・・・。

 バイファムの子供たちを描くのがすごく楽しくて、学校の行事や通学風景、
受験勉強とか買い食いしている時みたいな、身近な自分の体験に子供たちを
あわせてよく描いてました。自分の世界の近くに存在させてみたかったのかも
しれません。中学では校内でジャージを着るのが規則だったので、やたら
ジャージ姿の子供たちの絵が多いです(^^;)。

 バイファム13が終わって、みなさまの感想など読むうちに、バイファム
ってのは時代も、スタッフも、見ていた私たちも、いろいろな要素が偶然
にもあわさって、15年も影響を与え続けるような奇跡の作品となったのだ
なぁ〜、と思いました。どうしてこんなにも好きなのかな。たまに考えても
みるけれど、やっぱりよくわかりません。

 また、長いなぁ・・・すみませんです〜〜。

yasu 投稿日: 98年10月30日
 村上 春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」は1983年が
舞台だったのですか、私は時代背景とか何も気にせずに見ていたため
MAGIさんの書き込みをみて気がついた次第です。
 15年前という視点で見直すと、当時の村上氏が小説上で
書いたライフスタイル像みたいなのは、今でもけっして
古くなく、15年前から当時は普通ではなく、現代では普通に
なっていることを予測していたような感じがします。
(当時の私の家のライフスタイルが古いのかもしれませんが・・)

 15年前当時、小学校の中では「ひょうきん族派」と
「8時だよ全員集合派」にわかれ、「低俗」というレッテルを
世間から張られたいたため、「ひょうきん族派」は劣勢を
強いられていた時代であった(ような・・・といってもたかが小学
低学年生同士の争いではあるが・・・)
 
 タケチャンマン、ナンデスカマン、あみだばばぁ、ホタテの殻を
かぶった安岡力也・・・、当時世間をはやらせたもの
今洗練された世の中で同コンセプトの番組をやったらどうなるんだろう?
なんて思いつつ、当時は勢いがあったな、と思う次第です。

MACH 投稿日: 98年10月29日
当時一番好きだった曲

    ボーイズタウンギャング「君の瞳に恋してる」

受験期で落ち込んでいたときによく聞いた、私にとってのカンフル剤。
いまでも頭の中に流れるが、エンドレス状態になるのが困りもの。

BAT(怒りと悲しみ) 投稿日: 98年10月28日
現在、世界で活躍するスポーツ選手が多くなってきている。
その中で、日本人選手が最も世界で活躍しているスポーツ。
「世界グランプリロードレース」

興味を持ったのはこの頃からだった。
まだ、情報もほとんど入ってこない中、「なにかすごいことになっている」
という感じだけは伝わっていた。
’83年シーズン、全12戦で争われたレース。
フレディ・スペンサー6勝、ケニー・ロバーツ6勝。
チャンピオンは若き天才、”ファスト”フレディに。
”キング”ケニーはこのシーズンを限りに引退。

そういえば、ホンダNS500のプラモデルも買ったなー。
ゼッケンは「4」、でもスペンサーといえば「19」。
今でも好きな数字。天才のナンバーという感じ。

しかし「31」のほうがもっと好き。嫌いな数字は「65」(怒)
原田哲也とは歳がいっしょなんだよなー。
すいません、訳の解からないことを書いてしまって…
まだ、立ち直れないもので…(涙)

ペブルズ:Pebbles 投稿日: 98年10月27日
3.消えた虎仮面、落下した香港人(壱)

  4つ上の兄がいる。当時中学2年生。
  バック宙をマスターするだけの為に体操部へ入部した男。
  兄の憧れの対象は、ジャッキー・チェンとタイガーマスク。
  特撮やアニメ以外でヒーローだったのはこの2人。
  勿論、兄の影響で私も大ファンだった。83年の事。

  タイガーマスク。
  新日本プロレス(通称「猪木んとこ」)に颯爽と現れたこの男は
  華麗な四次元殺法と巧みなレスリング技術で世間を釘付けにしていた。
  私と兄もご多分に漏れず熱狂した。
  ジャッキー・チェン。
  「ドランクモンキー酔拳」が日本で上映されて以来この男は
  華麗なアクションと愛らしいキャラクターで世間を釘付けにしていた。
  私と兄もご多分に漏れず熱狂した。

  83年前半、劇画「巨人の星」「タイガーマスク」などの原作者、
  故・梶原一騎が恐喝・暴行容疑で逮捕された事がひとつの引き金となる。
  兄の買ってきたプロレス雑誌に掲載されたスクープによると、
  タイガーマスクの名称・マスクが使用不可能になるというのだ。
  TVのプロレス中継ではいち早く新マスクのデザインと
  新リングネーム当てクイズの告知があったが、
  何よりあの金色のマスクが見れなくなる。
  そのことの方が兄弟にはショックであった。
  しかしそんな落胆をよそに、事態はさらに悪化していくのであった。
                        (無理矢理つづく)

 *バイファムの話ねーじゃねーかと思う方、ごめんなさい。
  夜七時台の放映中は一度も見てなかったんです・・・。
    

MACH 投稿日: 98年10月27日
あ、タイトルが抜けてしまった。
下は「当時の金曜夜の行動」という題です。

MACH 投稿日: 98年10月27日
1.「ワールドプロレスリング」(新日本プロレス中継)タイマー録画設定
2.空手の稽古にでむく
3.帰宅後、「ワールドプロレスリング」を再生し、鑑賞

という感じだったんですが、ある日弟がバイファムを録画し、私のタイマー設定を無視したのがすべての始まり。
リキラリアートや延髄蹴りが流れるはずが、なぜか画面はディルファムが倒れて中からバーツが出てくるシーン。
弟をサソリ固めでお仕置きした後、せっかくだからということで鑑賞したところ「・・・おもしろいじゃないか」。
以降、ビデオに録画するわ、サントラは買うわ、小物は買うわ、関連書籍は買うわと、もろにハマッてしまいました。

あさこ 投稿日: 98年10月27日
フレッドの声が大好きだったので、
早くビデオを買って、ずっと残しておきたいなあと思っていました。
急がないと声変わりしちゃう。
そう思っていたのに、当時、ビデオはまだ高く、
やっとバイトをして買えるだけのお金がたまったときには
菊池くんは声変わりをしてました(泣)。
でも「菊池くんの声、かわいいよね」と意気投合した友達とは、
いまだに仲良くつきあいを続けていくことができてるので、
すっごい想い出に残ってる作品です。
「バイファム」がなかったら、
たぶん、彼女とは知り合ってなかったと思うもの。
どうでもいいことですが、
アニメージュか何かに載ってたオープニングの英語の歌詞を
必死になって覚えたのも、忘れられない想い出。
いまだに歌えるもんなぁ。
だから、放送時間が変わって、
歌の冒頭部分が削られてしまったのが、すっごく悔しかった。
最初の手の動き、好きだったんですもの。
当時はアニメが大好きで、よくアニメトピアなんかも聞いてました。
難波くんがよく出演されてたのも覚えてます。
振り返ってみれば、いろんなことが思い出されますね。

kan 投稿日: 98年10月26日
中学生時代の貴重な体験
あのころ家には、ビデオがありテレビの番組を録画することが
ほとんどだったのですが・・・ふと風のたよりでビデオレンタルの存在をしりました。
当時ビデオレンタル屋は、皆無・・・友達の情報を頼りに駅2つ向こうのビデオレンタル屋
を探しに行きました。すぐに見つかったわけですが当時当日・1泊2日か2泊3日しかメニュ
がなかったわけです。(たしか) 金額も当時の私には、非常にいたい出費でした。
それも自転車で30分は、かかりました。結構つらい
冬に日は、耳がちぎれてしまうかと思うくらい痛かった。(なつかしいなー)
じつは、それビデオレンタル屋との出会いがきっかけでアニメも知識をどんどん吸収していきました。
今 思えば、なつかしい思い出です。
その、店でバイファムのOVAを借りたかどうか記憶は、ないのですが・・・
愛おぼえていますかを借りた記憶は、あります。その日は、めちゃねちゃ寒かったからね。
しかし その店が原点であることは間違いありません。



ペブルズ:Pebbles 投稿日: 98年10月26日
2.こどもの遊び方 

  まずはしょうもない話から。

  ♪お前が好きだと 耳元で言った
   戸塚宏にだまされ 渚にたたずむ
   脅しが上手で 僕を困らせた
   戸塚宏の得意な 竹刀バットのリンチ
      (原曲:高田みづえ「そんなヒロシにだまされて」)

  当時、異様に流行った替え歌。元ネタは不明。
  いったい誰が最初に歌ったんだろうか?
  それはともかく、子供(ガキンコ)にとって
  事件・事故のニュースは恰好の「遊び道具」であり、
  戸塚ヨットスクールの件も例外では無かった。
  体育の水泳の授業。
  ヨットスクールごっこ(内容は言わずもがな)。
  さすがに先生は激怒し、遊び半分の生徒をこっぴどく叱りつけた。

  ちょっとめげて、またすぐ立ち直る。その繰り返し。
  くだらない遊びを開発して楽しんでいた僕たちの次のネタは
  半年後のロス疑惑だった。
 

香里園メトロ 投稿日: 98年10月25日
私の弟は「コミックボンボン」を購読していたので、彼は第1話から見てました。
私は、「面白いからお姉ちゃんも見てみなよ。」の誘いに「え〜?」と半信半疑で見始めました。それが第10話でした。当時、私達姉弟は、一週間に3時間しかTVを見てはイケナイという規則に縛られていた為、その30分が貴重だったのです。見てびっくり。気がつきゃ姉の私の方がハマってました。
中学2年生になり、放映時間も変更となりました。
札幌は、なんと土曜日の昼1:25〜に変更となりました。
小学生の弟は、授業が3時間で終了だったので、余裕で帰宅して見る事が出来ました。中学生の私は、4時間授業の上、不幸な事に毎週土曜日は教室掃除当番だったのです。我が家には当然ビデオデッキという文明の利器があるはずもなく・・・。
教室を飛び出すのはいつも1:20でした。あと5分!・・・更に不幸な事に、私は気管支喘息患者でしたが、「バイファムを見なければイケナイ!!」執念で、全力疾走ダッシュで帰宅し、1:25には家のTVの前に倒れてました。
私には、塾で知り合った別の中学校に通う友人がいました。彼女に「一度見てよ!」と薦めたところ、彼女も力いっぱいハマってくれました。お陰で、楽しいバイファムライフを彼女と共に過ごせました。
彼女とは、いっぱいいっぱい語り合いました。何年経っても、会えばいつでも。
お互い今は札幌を離れ、私は大阪、彼女は東京に住んでおります。
今でも年に数回会っては、当時の私達と変わらない話題・・・バイファムの話しに花が咲きます。
私達にとって、バイファムは青春、いえ、人生そのものになってしまったのではないかと・・・・。

MAGI 投稿日: 98年10月24日
村上春樹の小説で「ダンス・ダンス・ダンス」という作品があります。村上春樹と
いうと「ノルウェイの森」や最近ではオウム事件のレポートが有名ですが、
デビュー作「風の歌を聴け」からこの「ダンス・ダンス・ダンス」までの4部作は
これらと双璧を成す氏の代表作です。

…で、何が言いたいのかと言いますと、「ダンス・ダンス・ダンス」の舞台は
1983年なんですよね。著者もこの年に相当こだわりがあるようで、文中では東京
ディズニーランドのオープンやらビヨン・ボルグの引退など、83年に関する様々な
小ネタが出てきます。興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか…でも、
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」と順番に読んでいかないと
意味がわかんないんですけどね。

あ、そうそう、東京ディズニーランドの広告にも最近「15周年」の文字が踊って
いますね。いやはや。

深度測定長 投稿日: 98年10月24日
ほうがんさま

>まだ、当時は「ソビエト社会主義共和国連邦」という国がありました。
>このコーナーの年表にこっそり載っている、「アンドロポフ書記長死去」
>と言う記事は、当時友人達と政治ゲーム(ちょっと説明しにくい)に興じて
>いた私にとっては、大事件でした。

 そういえば当時はまだ冷戦中で、ソ連というのは未知の国でしたよね。「KGB」や「ソ連兵」を
ネタにしたギャグが通じていた時代です。
 確かこの時はまだ旅客機はソ連上空を通れなくて、アンカレッジあたりを経由して北極圏を越
えて行っていたんではなかったでしたっけ。

ほうがん 投稿日: 98年10月24日
まだ、当時は「ソビエト社会主義共和国連邦」という国がありました。
このコーナーの年表にこっそり載っている、「アンドロポフ書記長死去」
と言う記事は、当時友人達と政治ゲーム(ちょっと説明しにくい)に興じて
いた私にとっては、大事件でした。
その後書記長を継いだチェルネンコも、あっと言う間に命を落とし、やがて
ソ連という国はゴルバチョフに率いられるようになります。
そう、あの頃はかつてのブレジネフ時代から脱皮を図りつつあったソ連と
いう国家が、求心力を失い崩壊していく助走段階にあったのかもしれませ
ん。
あわせて、この年はアフリカの飢餓がとてもひどかったことも指摘して
おきます。

満珠 投稿日: 98年10月24日
15年前・・・

当時、中学1年。剣道部に入って燃えていた毎日でした。
アニメ作品としては、斬新(と感じた)な主役メカと異様なゲストメカのデザイン、
そして主人公たちが我々と同じ世代で、楽しみにしていました。
掲載雑誌はすべてかってスクラップ、カセットテープに全話を録音する決意を固めた。
アニメを録音するには、似合わないウン十万円もするステレオのタイマーの使い方を覚え半年間がんばった。
四月からの継続が決まると、部活があるので絶対に見られない!!
無謀にも私は親にビデオを無心した。当時、ビデオデッキは、まだ家電と呼ぶにはほど遠く、15万円もした。
なぜかそのころは、実家のそばでは停電が多く、毎週バイファムが始まる前に親に電話を入れて
停電していないかを確認していたのを覚えている。
ビデオテープも一本1000円ぐらいして保存用にはほど遠い。
並行してカセットに音もとっていた。

この「Vジェネ」を見つけたとき、実家に戻ってカセットを取ってきた。まだ無事だった。
当時のことは、多くを覚えていなかったが、カバヤのCM(前半部はほとんどCMをカットしていた)
を聞くと忘れていた多くのことを思い出す。

(不完)

深度測定長 投稿日: 98年10月24日
 バイファムというと、思い出すのは「骨折」です。
 わたしは時間帯移動後にバイファムを見始めたんですが、その前後に学校の体育の授
業で(確かマット運動だった)右腕を骨折しました。通院のために早退し、医者を経由して
帰ってくると丁度バイファムの時間だったもので、ほくほくしながら見ていた記憶がありま
す。

BAT 投稿日: 98年10月24日
当時のことって確かに憶えているんだけど、「それは84年のこと、それは85年」とか。
でも、それで当時の自分がどうだとかいうのとは結びつかないな。
テレビの中の出来事はテレビの中のこと…かな? 自分のことなんてあまり憶えてないから。
やっぱりテレビっ子だったんだな。

まーでも、それの影響でこういうことしてたっていうのは憶えているんで、それを少し。

沖雅也、飛び降り自殺
美術の時間で「いろいろな書体で文字を書く(漢字含む5文字以上)」というのをやっていたとき、
私は「飛び降り自殺」という言葉を、ゴシック体とか明朝体で書いていました。
その日、だったかその週に、沖雅也が自殺してかなり驚きました。

そして、風邪薬とかを飲むときも、「もぉ〜、いいじゃないですか!」と言ってから、ガバッと飲んだり、
裏に「親父、涅槃で待ってる」と書いた紙を友達の席に置いたりとか。
当時は涅槃って漢字で書けたな…。よく使ったから。

さて、こんな事を書いてよかったんでしょうか?(笑)
こんなん書かせるための場所じゃね〜!というのであればすかさず文句言ってください。
まだ変な方向に固まらない最初のうちに。

ペブルズ:Pebbles 投稿日: 98年10月24日
1.夢見る小僧

 1983年10月21日、銀河漂流バイファム放映開始。
 コミックボンボンで放映日を知ったと思う。
 ガンダムの洗礼のおかげで、ロボットアニメは大好きだった。
 
 でもその日、TBS(関東キー局)にチャンネルを合わせる事はなかった。
 多分、その裏番組の「たけこぷたぁ」の方を見てたと思うが・・・
 いまいち記憶に無い。

 その時期のTV番組で鮮烈に映ったものは、もっと別の分野だった。
 「史上最大!第7回アメリカ横断ウルトラクイズ」
 クイズ一つでニューヨークに行く。
 自由の女神に会う。
 トメ福留の術中にまんまとはまり、クイズ王を夢見た1983年。
 10歳だった。

 *徒然なるままに、体験談やら本文感想やらを書かせてもらいます。
  勝手になんですが、やったもん勝ち精神でひとつ・・・。
  

エリー 投稿日: 98年10月24日
いやぁ〜、あまりにも懐かしい。
私も、この当時アニメにはまりまくってました。
ゲスト・ブックにも書きましたが、兄の影響でもともとのアニメ好き。
兄の観るものが、私の観るものだった。
しかし「バイファム」に出会ってから私は変わった!!

でも、確かに苦労したなぁ〜、バイファム観るの。
私はテニス部で、終わったら友達とダッシュして帰ったのを憶えています。(所用時間、走って7分程)
帰ったらギリギリがほとんど。制服も着替えずかじりついて観てました。
(私の頭はロディで染まるぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜)
次の日には、その友人と語り合い、やっぱり「ロディが一番!!」と叫びまくってた。(その友人とは今もつきあってます。)

しかし、MAGIさん素敵すぎる!!
あの表凄いです!!
読みながら、あぁこんな事もあったけ・・・・と思い返してました。(しみじみ)

あと「ナウシカ」にもはまった。
純な私は、映画館で泣きまくったぞ〜〜〜〜〜〜〜!!
いや、若かった・・・・・・。

1983年:昭和58年 投稿日: 98年10月23日

東京ディズニーランド開園、青函トンネル、アキノ氏暗殺、試験管ベビー
大韓航空機撃墜、ニューアカデミズム、ギザギザハートの子守唄、金曜日の妻たち
ファミコン発売、わらべ、戦場のメリークリスマス、女子大生ブーム、め組のひと
おしん、一世風靡セピア、気くばりのすすめ、ジェダイの復讐、無印良品
オールナイトフジ、U2初来日、タンスにゴン、キン肉マン消しゴム、ダイナマン
戸塚ヨットスクール、たけし軍団、時をかける少女、美味しんぼ、ポストモダン
YMO「散解」、クラッシャージョウ、六本木WAVE、さざんかの宿、北斗の拳
プロジェクトA、梶原一騎逮捕、のび太の海底鬼岩城、「僕、笑っちゃいます」
ヤマト完結編、ザ・デイ・アフター、初代タイガーマスク引退、湘南爆走族
マイケル・ジャクソン「BEAT IT」、アル・ヤンコヴィック「EAT IT」
積木くずし、AKIRA、カレン・カーペンター死去、幻魔大戦、矢切りの渡し
etc・・・

ダンバイン、モスピーダ、ボトムズ、オーガス、ウラシマン、クリィミーマミ
キャッツ・アイ、キャプテン翼、スプーンおばさんetc・・・放映開始。

そして。
銀河漂流バイファム、放映開始。

あの時はどうでしたか。
いまはどうですか。                                 P

MAGI 投稿日: 98年10月23日
当時の出来事を少々。
当時小6だった私は、小学校卒業(つまり84年の3月)にあたっての「お別れ会」の時
クラス全員でやった演劇で、バイファムの音楽集1からセレクトしたBGMを使った
記憶があります。その時はたしかクラッシャージョウとかのBGMとかも混ぜこぜに
してました。
ちなみにその時に使った曲は「異星人」だったのですが、それ以外にもう一曲、
使いたかったのに音楽集1に収録されておらず、泣く泣く諦めた曲があります。
その曲は…その後音楽集総集編に収録されることになる、あの「チェイサー」でした。